4日間プラス予備日、実力者が勝つと相場の決まっている長丁場の試合を制したのは渡邉彩香。彼女が最後に勝ったのは2015年の11月のことで、実に5年近く経過していた……。

コロナウイルスの影響で開催中止が続き、17試合目にしてシーズン初戦となったアース・モンダミンカップは、ゴルフファンが「待った甲斐があった」とひざを打つような展開だった。

最終日、単独首位に立っていた黄金世代の田中瑞希と前年度賞金女王・鈴木愛とのつば競り合い……そして、最後に試合を制したのは5年間も優勝のなかった渡邉彩香だ。

無観客試合のため、大歓声はなかったが、だからこそ、グリーン周りで待つプロ仲間たちの祝福の拍手や、17年からタッグを組んできたキャディの川口淳の涙する姿などがネット中継を通じ際立った。

「人に支えられてきた」という渡邉も、涙をこらえきれなかった。恵まれた体、秀でた才能、図抜けた飛距離、怠らぬ努力。5年前、既にトッププレーヤーの資質を備えていた渡邉は、日本女子ゴルフ
界の期待の星だった。

その彼女がなぜ、その後、極度の不振にあえいだのか。苦悩からの復活優勝。「road back」。その道を振り返る渡邉は、プロ入り翌年の2013年に賞金ランク46位でシード権を獲得し、翌14年にはツアー初優勝して11位、15年には2勝を挙げ6位と着実にランキングを上げ、実力は早くもトップレベルに達していた。

画像: 「全米女子オープンでレベルの違いを痛感してしまって……」

「全米女子オープンでレベルの違いを痛感してしまって……」

翌16年はリオ五輪の開催年。渡邉は代表選手入りを最大の目標に掲げるも、選考締め切り直前に開催された全米女子オープンの最終ホールで池に入れてダブルボギーを叩く。結局、この一打で代表入りを逸することになった。

スランプの原因は
とてもポジティブなものだった

渡邉のスランプの原因を、この五輪出場を逸したこととする向きも多いが、最初のきっかけは、もっと前向きなことだった。

「1年、16年と出場した全米女子オープンでは、周囲が飛ぶので自分の距離のアドバンテージもあまり感じないし、さらにグリーンはうねりがすごくて、狙ったショットが2~3メートルズレたらグリーンから出てしまう。ドライバーからウェッジまで、正確なショットを求められたから、もう一段、二段、レベルアップしないとダメだなと思ったんです」

そこで、16年の全米女子オープンから戻った後、フェードの曲がり幅をある程度コントロールでき
て、さらにもう少しストレートに近い球筋に変えていく試みを始めた。すべては“世界に通用する球”を打つためだったのだ。

「でも、そのときは、スウィングでどうこうするわけじゃなく『球をつかまえたい』とイメージする
ことで、自然につかまる動きになるんだ……そんな感覚で練習していました。その後スウィングがお
かしくなるなんて思ってもいませんでした」

画像: 「『今日は何個ボールをなくすのかな』なんて考えながら臨んだ試合もありました」

「『今日は何個ボールをなくすのかな』なんて考えながら臨んだ試合もありました」

しかし、その影響は悪い方向に出始めた。つかまる球を意識しだしてからの16年シーズンは賞金ラ
ンキングこそ12位だったが、後半戦は予選落ちが多くなり、ゴルフの内容は悪くなっていた。自分のショットの明らかな異変に気づいたのは、2017年のヨネックスレディスの初日だった。

前半は37だったが、後半は48を叩いて予選落ち。その内容に少なからずショックを受けた。

「OB連発で、それが右にも左にも飛んで、もうすごいことになっていて。でもその時は、中途半端につかまる球を打とうとしすぎたせいだろうから、もう一回フェードをやり直せばいいんだくらいにしか思っていなかったんです。次の週から、ずっと見ていただいている石井(明義)先生のもとで、フェードを練習し直したんですけど、もうその時には『左が嫌だ』という拒絶反応が出てしまって、球を左に出せなくなっていたんです」

川口淳が渡邉のキャディになったのは、そんな異変が現れ始めていた2017年からだ。この時、川口は「彼女が調子を崩しているのは知っていたけれど、でも、こんなところで終わっちゃう選手で
はないし、将来、日本のゴルフ界を背負って立つ選手だという思いが強くあった。自分が何とかでき
るなんて気持ちは毛頭ないけれど、でも、どうしても担ぎたかった」と当時を振り返る。

17年は36位、18年は55位、19年は115位と、渡邉はトップ選手の座から落ちていく。それを隣で見ていた川口は、「この3年間、弱音を吐いたことは一度もない彼女が、18年のエリエールで55位に入ったときに初めて泣いたんです。その時、ああ、今、相当に苦しいんだなと感じました」と言う。

コーチの問いに「フェードでいく」
渡邉は即答した

19年のシーズン途中、川口は渡邉のスウィングを見ながら、自分が以前、千葉県でキャディをしながらプロを目指していた頃の仲間だった中島(規雅コーチ)が教えたらどうだろうかと感じた。結果、中島は去年のアース・モンダミンから正式にコーチとなり、一年後の今年のアース・モンダミンで渡邉は優勝を果たしたのである。中島は、なぜこれほど短期間で彼女を復活に導けたのか。

「最初に、今後やっていくうえで、ドローにするのかフェードにするのか、まずそれを決めてほしい。どうする? と尋ねたんです。すると、彼女は間髪入れずに『フェードです』と答えてきた。もうそれですべて決まりです。その後は、球を逃がす方向でやるだけだから」と中島は話す。

画像: 『フェードです』と即答した渡邉

『フェードです』と即答した渡邉

中島が渡邉に与えたポイントは3つ。1つ目は「上体を突っ込まないこと」。2つ目は「クラブをアウトサイドに上げること」。3つ目は「オープンフェースで振り抜くこと」。どれも“球を逃がす”ことだ。この3つができれば、彼女のポテンシャルからして、強いフェードが戻ってくる。しかし、それにはあと一つ、障害があることを中島は知っていた。それは渡邉のなかに巣食う“恐怖心”だ。

“振り切れる資質”
が備わっていた

「最初に見た去年のニチレイレディスで、彼女は左の林に向いて構えておいて、右の林に向けて90度曲がるプッシュスライスを3回くらい打っていたんです。要するに、左サイドが怖いから、インサイドからクラブを入れて右に逃げる打ち方をする。厄介なことに、時々、左に向いてアウトサイドからクラブを入れてくる本来の良いスウィングが出るものだから、一直線に左の林に飛んでいくこともあるんです。左右のフェアウェイに沿って並ぶギャラリーが見守るなか、ティショットが右に左にバラけるとなると、普通は恐怖でクラブを振れなくなるはずなんです」

曲がる恐怖でドライバーが振れなくなるショットイップスに陥り、多くの才能あるプロゴルファーが
姿を消していった。しかし、渡邉はそうはならなかった。それは、彼女が「どんな時でも振り切る」という資質を持っていたからだろう。渡邉は、曲がる恐怖心と戦いながら、一度も逃げることをしなかった。

画像: 調子が悪い時でも、「振り切れてるじゃん」と声をかけてくれる仲間がいて「ありがたかったです」

調子が悪い時でも、「振り切れてるじゃん」と声をかけてくれる仲間がいて「ありがたかったです」

「自分の曲がるショットに対する恐怖心はずっと持っていました。試合に行くたびに、今日はいくつ暫定球を打つのかな、何個ボールをなくすんだろうなと思っていました。気持ち良くラウンドなんてずっとできなかったけど、それでもなぜか、怖くて振れなくなるこはなかったんです。怖いから合わ
せて振ったところで元の良いショットに戻れるとは思っていなかったし、自分なりに納得のいく“振
り感”で真っすぐにいくようにならないといけないと思っていたから。だから、試合に出たくないと
思ったことは一度もなかったし、試合では、いつも振り切ることだけはし続けていたと思います」

初プレーオフ、緊張より
嬉しさが先に立った

ゴルファーなら誰しもスタートホールで衆目に晒されながら打つティショットの恐怖を知っているだろう。渡邉は、その何十倍もの恐怖に晒されながらも、逃げることなく思い切りドライバーを振り
続けた。そこが分かれ道だった。

コーチの中島とキャディの川口と3人でタッグを組んでから半年19年のQTまでに渡邉のフェードは全盛期の50%までの状態に戻った。結果、19位に入り、翌年の前半のシード権を得ることができた。

今年2月のタイ合宿では、難しいコースで60台を連発する渡邉の仕上がりは80%にまでなったと中島と川口は見た。あとは、本番でその力を出せるかどうか、だった。やれるだけのことはやってきたという自負をもって臨んだ今年のアース・モンダミンカッの初日、わずかに残っていた不安はスタートホールのティショット後に吹き飛んだ。

その一打は、250ヤード先の左のクロスバンカーを悠々と越え、270㍎地点にある大きな木の枝に当たって落ちた。それはわずかにフェードがかからなかったものの“左の恐怖”を微塵も見せないショットで、渡邉は自信を持った。

画像: 「最後のバーディパット、グッチさんの“呪文”がききました」(川口キャディとのコンビ。「見つめ合って」のリクエストにこの表情)

「最後のバーディパット、グッチさんの“呪文”がききました」(川口キャディとのコンビ。「見つめ合って」のリクエストにこの表情)

最終日の9番ホールでは、さらに自信を強めるショットを放った。プレーオフを争うことになる鈴木
愛が初日、2日と連続してティショットを池に落としている難関のパー3ホール。渡邉はティショッ
トを打つ前、川口に「ピンに向かって立ち、左にある木に向かってショットを出してコレくらい曲げ
て、これくらいの距離を打ちます」と宣言した。これが完全にプランどおりとなる。

「イメージどおりの弾道やスウィングの力感で、全部がうまくカチッと噛み合った瞬間というか……。それ以降、後半のハーフはショットは完璧に近かったと思います」

プレーオフは初めてで、相手は最強の鈴木愛。緊張はしたが、久しぶりに優勝を意識したプレーができる、ようやくここに戻って来られたんだという嬉しい気持ちのほうが大きかったという。ティショットはやはり完璧だった。ティーイングエリアの右サイドに立ち、左のフェアウェイに向かって打った球は、落ち際でわずかに右に落ちるパワーフェードだった。ピン奥4メートルにつけ、バーディを残した渡邉にキャディの川口がさかんにささやく。

「グッチさんが『得意の下りだね』『わざと下りにつけたんでしょ』『得意だから大丈夫だよ』と、まるで呪文のように言ってくるんです。リラックスさせてくれようとしているんだなと私もわかったので『そうですね、わざとです』とか返したりして。私は下りでもジャストタッチで狙って最後にコロンという感じで入れるんですが、そしたらグッチさんが『どうせ、コロコロ、あ、止まる、と思ったらコロンみたいな感じでドキドキさせるんでしょ』と言うから『そうですよ、そうやって入れますよ』って(笑)」

宣言どおりにカップインさせ、渡邉は、5年ぶりツアー4勝目を挙げた。“振り切れる人”は、強い。

文・古屋雅章(ゴルフライター)

写真・岡沢裕行

週刊GD7月28日号より

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