![画像: 1954年生まれ、群馬県出身。1975年にプロ入り。4度の賞金王に輝き、永久シード保持者。ツアー通算48勝。日本人選手で唯一、海外4大メジャーの全てでトップ10入りの記録を持つ](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/94629d9092bc8903b2019bc5c012988afc2c7d67_large.jpg#lz:xlarge)
1954年生まれ、群馬県出身。1975年にプロ入り。4度の賞金王に輝き、永久シード保持者。ツアー通算48勝。日本人選手で唯一、海外4大メジャーの全てでトップ10入りの記録を持つ
【解説】 鈴木亨プロ
1996年生まれ、岐阜県出身。88年より、中嶋常幸と同じ後藤修に師事し、ともに汗を流し、ツアーを転戦
“世界一美しい”と
称されたスウィング
中嶋さんとの出会いは1988年。ボクは22歳でプロに転向する1年前。中嶋さんは34歳でスランプに陥り、スウィング改造を決意されたときです。
以来、そのスウィングを間近で見られたことは幸運であり、ボクのゴルフ人生においても、大きな財産となっています。
![画像: スウィング改造の真相は……身近にいた鈴木亨が語る](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/6c5761be2ed090d733bf2c42f3b1a0d83aba6078_large.jpg#lz:xlarge)
スウィング改造の真相は……身近にいた鈴木亨が語る
飛距離と正確性を高いレベルで両立させ、青木功さん、ジャンボ尾崎さんの背中を追いかけて日本ツアーをけん引。
65歳を迎えた現在でも衰えを知らない。ボクのなかでは、いまでも“世界一美しい”スウィングです。
80年代後半スウィング改造に着手
このままでは上半身が回りにくい…中嶋は悩んでいた
「みぞおちの裏の背骨が硬くなる」
ドライバーの進化も
改造の理由のひとつ
プロに転向して、まだ試合に出られなかった頃、中嶋さんのプレーを見るために、度々トーナメントに足を運んでいました。試合中にも関わらず、ボールケースを山積みにして練習する姿を見て、“プロの凄み”を感じたのを覚えています。
ボクと出会った88年当時、セベ・バレステロスから、「世界で5本の指に入る美しさ」と絶賛されたスウィングの改造に、中嶋さんは着手しました。
1985 スウィング改造前の全盛期 31歳
![画像1: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/769c07dd2cd09c0ed53c9acc6a05c9584f096d00_large.jpg#lz:xlarge)
![画像2: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/0a6ca24ca3e8c0675662c89761a489980c55f3d4_large.jpg#lz:xlarge)
![画像3: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/2acf7676922eadbf26d003631dba3c718090bd34_large.jpg#lz:xlarge)
![画像4: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/0279f76a817bf979ccb7ee48c52ca9a93e6d916b_large.jpg#lz:xlarge)
![画像5: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/bc3bc7a3ee4c7b10eb7bf0fc014b27f4cad35e4b_large.jpg#lz:xlarge)
![画像6: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/33c52a6c45b1fa4a12ba08c3164f3bec1aa6fae5_large.jpg#lz:xlarge)
![画像7: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/f05cb13a8b1d22649a0de5552196053895c79570_large.jpg#lz:xlarge)
![画像8: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/25ce9bac6777598f18719149bc5b7cb94519cf44_large.jpg#lz:xlarge)
「加齢による体の衰えは、みぞおちの真裏の背骨が硬くなることから始まるんだ」
体のケアの大事さを、中嶋さんは常々語っていました。30代半ばに入り、自身の体の変化を感じ取っていたのだと思います。
柔軟性の低下とともに、可動域が狭くなれば、若い頃のようなスウィングはできなくなる。ジュニア時代より培ってきたスウィングから、大人のスウィングへと進化させるには、このタイミングがベストだと、中嶋さんは判断したのでしょう。
また、パーシモンからメタルへというギアの進化も、スウィング改造の理由のひとつと推測できます。92年の連続写真を見ると、リスペクトするジャンボさんをお手本に、オープンスタンスからハイドローで飛ばすスウィングへと変わっています。
1992 スウィング改造後の熟成期 38歳
![画像9: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/7f7d71a7ad84fcd1bad25662280d8555a1839f3e_large.jpg#lz:xlarge)
![画像10: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/08baf939dfed647f55cffc45eb95fa5d1cbc54dd_large.jpg#lz:xlarge)
![画像11: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/84cb732c2015df2ad35dbd4240a2d0bcc5b5097b_large.jpg#lz:xlarge)
![画像12: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/52a580b5e2d3f7579f100ef247accb02bba6e2e9_large.jpg#lz:xlarge)
![画像13: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/34e4364591892176137b961f92645f22030a4a88_large.jpg#lz:xlarge)
![画像14: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/019e0d818890d18c40b4e5b005bbb47429fbbbe0_large.jpg#lz:xlarge)
![画像15: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/acbfb98dcec56ce8e28bfd7e0a2813fb3284f585_large.jpg#lz:xlarge)
![画像16: 【スウィング遺産】かつて“サイボーグ”と呼ばれた男「中嶋常幸」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/87be6b2183ac16704ae89bae887307d77ba825e8_large.jpg#lz:xlarge)
目先の成績だけに囚われることなく、現在の自分にできる最高のスウィングを常に追い求め、努力を惜しまない。それが90、91年の日本オープン連覇、その後の完全復活に繋がったのは間違いありません。
右腕の長さと左ひざ
これが超一流の証
「亨、お前にオレのスウィングのなにが分かるんだ」
もし、中嶋さんがこの記事を見たら、そう言われてしまいそうですね(苦笑)。おこがましさを感じつつ解説させてもらうと、中嶋さんのスウィングの凄さは、フォローでクラブが地面と平行になったときの、右腕の長さがすべてを物語っています。
この右腕を長く使うことは、中嶋さんやジャンボさんなど、ゴルフの世界で超一流といわれるプロのスウィングにおいて、共通する部分なんです。
右腕を長く使うことで、ボールが曲がる原因になるフェースローテーションを最小限に抑えることができます。また、フェースにボールが乗る時間が長くなるので、インパクトで目標方向にボールをしっかり押し込んでいける。
![画像: 1976年プロデビューツアー初優勝→1982年・83年2年連続賞金王→1983年 年間8勝史上初の獲得賞金1億円突破→1985年・86年2年連続4度目の賞金王](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/4585e2c966dfb77c8b7e89c7c8e84dac1009a507_large.jpg#lz:xlarge)
1976年プロデビューツアー初優勝→1982年・83年2年連続賞金王→1983年 年間8勝史上初の獲得賞金1億円突破→1985年・86年2年連続4度目の賞金王
![画像: 右腕の長さと左ひざ これが超一流の証](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2020/09/03/4866af3524fdc583aae77ea3ce961a856180513a_large.jpg#lz:xlarge)
1976年 プロデビューツアー初優勝
1982年・83年 2年連続賞金王
1983年 年間8勝史上初の獲得賞金1億円突破
1985年・86年 2年連続4度目の賞金王
1988年 全米プロ3位日本人歴代最高位/1988年スウィング改造
1990年 復活 約3年ぶりの国内ツアー優勝/1990年・91年 日本オープン2連覇
2006年 史上4人目52歳でレギュラーツアー優勝
2018年 日本プロゴルフ殿堂入り
エネルギーを余すことなくボールに乗せられるから、飛距離と正確性の両立が可能になるんです。これは誰にでもできるものではなく、真似したくてもできない領域なんです。
フォローでピンと伸びた左ひざも、超一流の共通項のひとつ。地面反力を利用して、全身をフルに使ってヘッドを走らせる。どうすればボールを強く叩けるのか。そのコツを本能的に理解しているんですね。ボクが飛距離でやっと勝てるようになったのは、中嶋さんが50歳を過ぎてからですからね。
体の変化とギアの進化に合わせ、スウィングを常にアップデートさせながら、歴代3位のツアー48勝を積み重ねてきたのですから、その凄さは推して知るべしです。中嶋さんのスウィングから学ぶべきものは、まだまだたくさんあるんです。
TEXT/ Toshiyuki Funayama
PHOTO/ Tadashi Anezaki、GD写真室
週刊ゴルフダイジェスト9月8日号より
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