【解説】 鈴木亨プロ
1996年生まれ、岐阜県出身。88年より、中嶋常幸と同じ後藤修に師事し、ともに汗を流し、ツアーを転戦
“世界一美しい”と
称されたスウィング
中嶋さんとの出会いは1988年。ボクは22歳でプロに転向する1年前。中嶋さんは34歳でスランプに陥り、スウィング改造を決意されたときです。
以来、そのスウィングを間近で見られたことは幸運であり、ボクのゴルフ人生においても、大きな財産となっています。
飛距離と正確性を高いレベルで両立させ、青木功さん、ジャンボ尾崎さんの背中を追いかけて日本ツアーをけん引。
65歳を迎えた現在でも衰えを知らない。ボクのなかでは、いまでも“世界一美しい”スウィングです。
80年代後半スウィング改造に着手
このままでは上半身が回りにくい…中嶋は悩んでいた
「みぞおちの裏の背骨が硬くなる」
ドライバーの進化も
改造の理由のひとつ
プロに転向して、まだ試合に出られなかった頃、中嶋さんのプレーを見るために、度々トーナメントに足を運んでいました。試合中にも関わらず、ボールケースを山積みにして練習する姿を見て、“プロの凄み”を感じたのを覚えています。
ボクと出会った88年当時、セベ・バレステロスから、「世界で5本の指に入る美しさ」と絶賛されたスウィングの改造に、中嶋さんは着手しました。
1985 スウィング改造前の全盛期 31歳
「加齢による体の衰えは、みぞおちの真裏の背骨が硬くなることから始まるんだ」
体のケアの大事さを、中嶋さんは常々語っていました。30代半ばに入り、自身の体の変化を感じ取っていたのだと思います。
柔軟性の低下とともに、可動域が狭くなれば、若い頃のようなスウィングはできなくなる。ジュニア時代より培ってきたスウィングから、大人のスウィングへと進化させるには、このタイミングがベストだと、中嶋さんは判断したのでしょう。
また、パーシモンからメタルへというギアの進化も、スウィング改造の理由のひとつと推測できます。92年の連続写真を見ると、リスペクトするジャンボさんをお手本に、オープンスタンスからハイドローで飛ばすスウィングへと変わっています。
1992 スウィング改造後の熟成期 38歳
目先の成績だけに囚われることなく、現在の自分にできる最高のスウィングを常に追い求め、努力を惜しまない。それが90、91年の日本オープン連覇、その後の完全復活に繋がったのは間違いありません。
右腕の長さと左ひざ
これが超一流の証
「亨、お前にオレのスウィングのなにが分かるんだ」
もし、中嶋さんがこの記事を見たら、そう言われてしまいそうですね(苦笑)。おこがましさを感じつつ解説させてもらうと、中嶋さんのスウィングの凄さは、フォローでクラブが地面と平行になったときの、右腕の長さがすべてを物語っています。
この右腕を長く使うことは、中嶋さんやジャンボさんなど、ゴルフの世界で超一流といわれるプロのスウィングにおいて、共通する部分なんです。
右腕を長く使うことで、ボールが曲がる原因になるフェースローテーションを最小限に抑えることができます。また、フェースにボールが乗る時間が長くなるので、インパクトで目標方向にボールをしっかり押し込んでいける。
1976年 プロデビューツアー初優勝
1982年・83年 2年連続賞金王
1983年 年間8勝史上初の獲得賞金1億円突破
1985年・86年 2年連続4度目の賞金王
1988年 全米プロ3位日本人歴代最高位/1988年スウィング改造
1990年 復活 約3年ぶりの国内ツアー優勝/1990年・91年 日本オープン2連覇
2006年 史上4人目52歳でレギュラーツアー優勝
2018年 日本プロゴルフ殿堂入り
エネルギーを余すことなくボールに乗せられるから、飛距離と正確性の両立が可能になるんです。これは誰にでもできるものではなく、真似したくてもできない領域なんです。
フォローでピンと伸びた左ひざも、超一流の共通項のひとつ。地面反力を利用して、全身をフルに使ってヘッドを走らせる。どうすればボールを強く叩けるのか。そのコツを本能的に理解しているんですね。ボクが飛距離でやっと勝てるようになったのは、中嶋さんが50歳を過ぎてからですからね。
体の変化とギアの進化に合わせ、スウィングを常にアップデートさせながら、歴代3位のツアー48勝を積み重ねてきたのですから、その凄さは推して知るべしです。中嶋さんのスウィングから学ぶべきものは、まだまだたくさんあるんです。
TEXT/ Toshiyuki Funayama
PHOTO/ Tadashi Anezaki、GD写真室
週刊ゴルフダイジェスト9月8日号より
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