15年前、平成7年1月17日の阪神淡路大震災では、新コース13番フェアウェイが地滑りを起こし、土が11番グリーンを覆うという被害を蒙った。だが復旧は後回し、翌日からクラブハウスの大浴場を近隣被災者に開放、1日に600名が列を作った。井戸水も市民に供給、それはテレビ報道され感動を呼んだ。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

宝塚ゴルフ倶楽部は、大正5年宝塚ホテルに付設された3ホールの練習コースから始まる。設計はプロ第1号福井覚治。人気が出て昭和2年6ホール、9ホールと拡張。ホテルから独立、宝塚カンツリー倶楽部となった。

画像: 17番ホール/495㍎/パー5 豪快に打ち下ろしていくホールで、2打目は複雑なライからショットをすることになる。グリーン周囲のライも複雑だ

17番ホール/495㍎/パー5 豪快に打ち下ろしていくホールで、2打目は複雑なライからショットをすることになる。グリーン周囲のライも複雑だ

入会金は、茨木CCが500円の当時僅か30円だった。宝塚育ての親、広岡久右衛門は「サラリーマンにもゴルフの扉を開いた」と語っている。昭和4年広岡設計の第2次9ホールが完成。18ホールとなる。

画像: 18番ホール/425㍎/パー4 右側ラフにはユーカリの大木が並ぶ印象的なホール。フェアウェイ左側の松や楠が戦略性を高める

18番ホール/425㍎/パー4 右側ラフにはユーカリの大木が並ぶ印象的なホール。フェアウェイ左側の松や楠が戦略性を高める

関西ゴルフ場初のつり橋”甘香橋”が誕生

この際C・H・アリソンの助言があった。太平洋戦争中、軍に接収直前に終戦、宝塚ゴルフ倶楽部で復活。米軍接収。完全返還は昭和25年11月。昭和28年から動き出していた新コースの18ホール(大橋剛吉設計)は、ようやく昭和35年5月14日開場。

大震災の傷痕は、服部彰改造設計で、禍転じて福となすの例え通り、全36ホールが1ベントグリーンに生まれ変わった。回るなら、長いスロープ上に造られた旧コースだ。半分はティからグリーンへダウンヒル、残りはアップヒルが続く。ヤーデージによる難易度とは違うもうひとつの難度をもつ唯一のコース。

宝塚ゴルフ倶楽部
開場日:大正15年8月7日
コース:18H/6185Y/P70(旧)
    18H/6645Y/P72(新)
設計:福井覚治、広岡久右衛門(旧)
   大橋剛吉、服部 彰(新)
兵庫県宝塚市蔵人字深谷1391-1 ☎0797-71-2251

取材・文/田野辺薫

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