奈良国際ゴルフ倶楽部の開場は、昭和32年11月。しかし、計画が動き出したのは、かなり早かった。「終戦の喪失感が漂う」(50年史の多田正司キャプテンの言葉)、昭和25年10月「奈良国際文化観光都市建設法」が国会を通過、昭和27年上田治はコース設計に着手し始めた。

昭和30年12月奈良観光土地㈱を設立、土地買収が動き出す。6番目に辿り着いたのが、奈良市宝来町あやめが池(現在地)だった。若草山、春日奥山をバックに東大寺大仏殿や興福寺五重塔を眺める十分に広い土地だった。

阪名道路が通り抜ける予定という、常識では避けて通る条件を、よろこんで受け入れた。昭和31年9月奈良ゴルフ場㈱設立、初代社長・佐伯勇(近鉄社長)、11月奈良国際ゴルフ倶楽部創立、初代理事長・中山正善(天理教真柱)、12月コース造営を起工。

「峠を越えたら都が見える」ホール

当時の設計常識では、丘の尾根の地形に沿ってホールを延し、沢(谷)の形に沿って戻りのホールをつなぐのが普通だった。しかし、上田はこのコースで「山を越え、尾根を横断する方法」をとった。山を越えるホールは当然、第1打がブラインドの打ち上げ、第2打は打ち下ろしに。より戦略的になる。

画像: 2番ホール/453㍎/パー4 ティショットはやや打ち上げ、2打地点からは打ち下ろしになる距離のあるパー4

2番ホール/453㍎/パー4 ティショットはやや打ち上げ、2打地点からは打ち下ろしになる距離のあるパー4

そのことを上田は「なだらかな丘の上を登ると、麓には美しい村(グリーン)が広がるロマンティックな造りだ」と説明している。また「峠を越えたら都(グリーン)に行ける」とも洒落ている。

例えば、2番ホール(453㍎・パー4)の第1打はブラインドになるが、第2打はグリーンに向かって、打ち下ろして行く、上田の意図どおりの設計ホールだ。

画像: 6番ホール/553㍎/パー5 ゆるやかな右ドッグレッグでフェアウェイは広い。グリーンは手前からかなり速いため慎重に

6番ホール/553㍎/パー5 ゆるやかな右ドッグレッグでフェアウェイは広い。グリーンは手前からかなり速いため慎重に

画像: 17番ホール/445ヤード/パー4 名物ホール、池の岸には大仏の足跡といわれる2つのバンカーがある

17番ホール/445ヤード/パー4 名物ホール、池の岸には大仏の足跡といわれる2つのバンカーがある

画像: ティから見える大仏の足跡

ティから見える大仏の足跡

最も印象に残るのは、52段の階段(興福寺に由来)を上がった高段から、第1打は尼ヶ池を越えて大きな打ち下ろしとなるホール。向こうを横断するフェアウェイ17 番の手前、池の岸には、大仏の足跡といわれるバンカーが2つ。右か左か、どちらを越えるか飛距離を問われる難ホールだ。

奈良国際ゴルフ倶楽部
奈良県奈良市宝来5-10-1 ☎0742-45-4101
開場日:昭和32年11月3日
コース:18H/7055Y/P72
設計:上田 治
公式ホームページはコチラ

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

取材・文/田野辺薫

画像: 「峠を越えたら都が見える」ホール

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