ひとつの宗教系の団体が、ゴルフ場を経営する例は珍しい。PL教団がなぜゴルフ場を造ることになったか、それは昭和30年当時の教祖・御木徳近の人生観と宗教観とかかわる。

人生は芸術である。ゴルフは人生を美しく表現できる

PLとはPerfect Liberty(完全な自由、真の自由)の頭文字である。その具体化のイメージとして、徳近教祖には「人生は芸術である」という信条があった。注釈すれば、あらゆる物事に対して、自らの能力、個性を存分に発揮すること、「人生を芸術する」ことだという。それには「神の依ることだ」という宗旨である。

昭和30年は、戦後の第一次ゴルフ復興期である。徳近教祖は、ゴルフほど自分の人生を美しく表現するものはない、人生を芸術するという教団の教義と一致する。

そう考えて昭和32年11月、大阪府富田林市の教団聖地300万坪の中に、36ホール・5929㍎・パー112のPLゴルフ場パブリックコース(設計・御木道正)を造った。

だれでもが1日を1000円で遊べるコースという趣旨だった。

画像: 中7番ホール/470㍎/パー4 距離のあるパー4。1打目は右狙いになり、2打目はブラインドになる。3オンで攻めるのが賢明

中7番ホール/470㍎/パー4 距離のあるパー4。1打目は右狙いになり、2打目はブラインドになる。3オンで攻めるのが賢明

昭和34年、27ホールの羽曳野PLCCとして生まれ変わった。今の聖丘CC

そして昭和32年10月、カナダカップ(現ワールドカップ)で中村寅吉と小野光一の日本チームが個人、団体の2冠を独占して優勝した。日本が熱狂するなか徳近教祖も「これこそ人生を芸術することだ」と感動した。ゴルフほど自分を美しく表現するものはない、と。徳近教祖は、パブリックの36ホールを大改造。

御木道正の設計によって、36ホールを本格的な27ホールの羽曳野PLカントリー倶楽部として生まれ変えたのが昭和34年。現在の聖丘カントリー倶楽部である。会長・御木徳近、理事長・御木徳日止(禰宜)を戴く賛助の会員制だった。

昭和51年12月、隣接地に現在の光丘CCとなるニューPLゴルフ場も開場。昭和34年にPL島原(現、島原CC)昭和48年にPL千葉(現、総丘CC)、昭和52年にPL仙台(現、泉国際GC)とPLゴルフ場網が拡がり、ブラジルにも在留日系人のためのゴルフ場を造った。

画像: 西4番ホール/536㍎/パー5 ティショットは左目を狙う。グリーンまで打ち上げになり距離感の判断が難しい

西4番ホール/536㍎/パー5 ティショットは左目を狙う。グリーンまで打ち上げになり距離感の判断が難しい

画像: 西4番ホール/536㍎/パー5 グリーン周りには複数のバンカーが待ち受けている

西4番ホール/536㍎/パー5 グリーン周りには複数のバンカーが待ち受けている

聖丘カントリー倶楽部
大阪府富田林市新堂2345 
☎0721-24-8331
開場日:昭和34年7月3日
コース:9H/3479Y/P36(東)、9H/3261Y/P36(中)、9H/3161Y/P36(西)
設計:御木道正
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取材・文/田野辺薫

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