高度経済成長期に入った、昭和33年から39年の7年の間に、東京の多摩丘陵には11コースの新しいゴルフ場が出現した。昭和32年2月頃、東京都八王子市宮下町、戸吹町に広がる南面の山林20万坪に目をつけ、買収に入った会社があった──。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

昭和32年6月、約80名の地主たちに対し、平和相互銀行立川支店で、買収金額が一斉に支払われ、地元では評判になった。うわさの経営者は、平和相互銀行を創業した小宮山常吉、元参議院議員だった。「政治よりも、もっと大衆の傍にある事業を」と始めたのがゴルフ場だった。

「武蔵野ゴルフクラブ」を契機に、中山CC 、川越CC 、総武CC 、そして遂には「環太平洋に100コース」を唱えて登場した太平洋クラブまで、総武都市開発グループは、ゴルフ場専業大手のひとつに発展していった。武蔵野GCはその長男坊であった。

画像: 2番ホール/210㍎/パー3 やや打ち上げで距離のある池越え。グリーンは受けている

2番ホール/210㍎/パー3 やや打ち上げで距離のある池越え。グリーンは受けている

開場2年後、丸毛信勝から富澤誠造にバトントスし大改造へ

昭和34年6月着工。コース設計は、当時人気の丸毛信勝農学博士。起伏というより小さい谷の多い地で、熊谷組の大型ブルドーザーを動かして100万立方メートルの土量を動かしたが、石ころの多い関東ローム層で芝付きが芳しくない中、昭和35年11月に開場。

開場式の日、設計者の丸毛信勝は、長靴を履いていたと記録にある。雨が降れば忽ち田圃になると、今後、悪評が集まる。それを心配した小宮山は、金融事情視察で出かけた欧米で、ゴルフ場も視察、研究した。帰国後の昭和37年から、設計者を富澤誠造に代えて大改造に着手した。

画像: 7番ホール/360㍎/パー4 距離はないが正確性が求められるホール

7番ホール/360㍎/パー4 距離はないが正確性が求められるホール

画像: 6番ホール/580㍎/パー5 丘陵地形を活かした打ち下ろし。ロングヒッター以外は常にフェアウェイセンター狙い

6番ホール/580㍎/パー5 丘陵地形を活かした打ち下ろし。ロングヒッター以外は常にフェアウェイセンター狙い

画像: 9番ホール/340㍎/パー4 左サイドのフェアウェイバンカーわきのベストポジションからグリーンを臨む

9番ホール/340㍎/パー4 左サイドのフェアウェイバンカーわきのベストポジションからグリーンを臨む

5月から3カ月間、18ホールをクローズして、フェアウェイをならし、砲台グリーンをフラットにしてシニアやレディスも楽に回れるようにコースを一新した(ちなみにその年、小宮山は80歳だった)。

総工費1億5000万円。平坦な土地なら18ホール造れる出費だったが、追徴金なしで実行、10月15 日再開場した。武蔵野GCにとって2度目の誕生日となった。

武蔵野ゴルフクラブ
東京都八王子市宮下町656 ☎042・691・2111
開場日:昭和35年11月23日
コース:18H/6580Y/P72
設計:丸毛信勝、富澤誠造(改造設計)
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画像: golfdigest-play.jp
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