昭和30年代のはじめ、革新県政下にあった名古屋で、県有地内にあった東山(愛知CC)廃止論が出たことがあった。その流れから「和合(名古屋GC)の他にもうひとつ名門ゴルフ場があったほうがいい」という気運が、中京財界に生まれた。三好CCこそ、その「もうひとつの和合」である。

三好CCの設計は英国人のJ・E・クレーン

用地選定は、名古屋からの距離、アクセス、そしてトヨタに近いという立地条件で選ばれたのが三好町笹部集落の共有林だった。

三好CCの所在地、旧黒笹村は、尾張と三河の国境、猿投山麓にひろがる猿投窯(さなげよう)で知られる地域の一角で、平安時代からの古窯跡も多い。戦国時代には、織田、松平両軍が攻防を繰り返した福谷城趾が三好町に残っている。

目をつけた共有林は、疎らに低木が生えるだけの転石の多い丘陵地、それも全域が保安林とわかってひと騒ぎがあるが、それも解決。昭和34年12月に㈱中部国際ゴルフ倶楽部を設立した。佐々部晩穂会長(松坂屋会長)、社長は大島一郎(中日新聞会長)だ。

設計は「世界に通用するチャンピオンコースを」という佐々部提案で、英国生まれで本家のゴルフ事情に詳しいJ・E・クレーンを指名。

画像: 西16番ホール/195㍎/パー3 右の段上がメイングリーン。左に落としたら大叩きの名物ホール

西16番ホール/195㍎/パー3 右の段上がメイングリーン。左に落としたら大叩きの名物ホール

僅か4年で名門に

鳴尾GC(兵庫県)を設計したクレーン三兄弟の次兄がJ・E・クレーン。鳴尾GCに代表されるように自然のかたちを活かした戦略性が特徴で、三好CCの西コースにその面目が出ている。「このホールが終わらないと勝負は決まらない」といわれる16番・パー3はその代表である。
 
昭和35年10月11日三好カントリー倶楽部を創立、理事長大島一郎。昭和36年5月21日、現西コース18ホールを開場。コースレート74.7の難コースは話題を呼んだ。2年後の38年4月には国際的トーナメント「第4回中日クラウンズ」を開催した。

画像: 西13番ホール/205㍎/パー3 レギュラーでも185㍎あるが、池がないだけに2オン狙いでも

西13番ホール/205㍎/パー3 レギュラーでも185㍎あるが、池がないだけに2オン狙いでも

画像: 西7番ホール/525㍎/パー5 やや上り、グリーンは砲台なので、番手選びは慎重に

西7番ホール/525㍎/パー5 やや上り、グリーンは砲台なので、番手選びは慎重に

画像: 西18番ホール/470㍎/パー4 トーナメントの最終ホール、真っすぐ長く、右の池がプレッシャーとなる

西18番ホール/470㍎/パー4 トーナメントの最終ホール、真っすぐ長く、右の池がプレッシャーとなる

開場4年後の昭和40年10月には、公式競技の日本オープンを開催した。他のコースが20年、30年かけて上がる名門への階段を僅か4年で駆け上がり、三好の名が上がった。

昭和45年以降東海クラシックを37回連続開催中、コースも41年10 月9ホール増設、44年更に9ホールを増設、東コース18ホールが完成。

三好カントリー倶楽部
愛知県みよし市黒笹町三ヶ峯1271☎0561-74-1221
開場日:昭和36年5月21日(西)
    昭和44年9月20 日(東)
コース:18H/7095Y/P72(西)
    18H/6510Y/P72(東)
設計:J・E・クレーン
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取材・文/田野辺薫

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