あわやアルバトロスかと思われた、尾崎の18番セカンドショットは、得意のバフィからはじき出されグリーンに落下するやピンをめがけてスルスル寄っていった。ドッとどよめくギャラリー、応える尾崎。これで勝負は劇的に終焉をむかえた。17番ショートホールでボギーを叩き、村上隆に追いつかれた尾崎は最終18番のティに立った時、周囲の不安をよそに実にあっけらかんとした柔和な表情を見せていた。

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

「ロングホールでバーディを獲れる時は、オレの本調子さ」と常日頃から口ぐせのように語る尾崎の最終日は、5番、9番15番のロングホールをきれいにバーディで収めている。したがって18番のロングホールでもバーディを獲る自信があった。あわよくばイーグルを狙えないこともない。

1ホール1ホール、慎重に慎重に…13カ月ぶりの優勝

画像: 通算6アンダーで13ヵ月ぶりの勝利を挙げた尾崎将司

通算6アンダーで13ヵ月ぶりの勝利を挙げた尾崎将司

村上と尾崎のゴルフは明らかに違う。村上は落とすエリアを定め、そこへボールをコントロールしていく。そしてグリーンに勝負をかける。落とす地点をエリアと考えるから多少のミスは許容できるといわれる。だから、見た目は派手ではない。じっとじっと耐えて、3~4メートルのパットを根気よく沈めながらジワジワとスコアを伸ばしていく。

自分をいましめながら、なだめながら、黙々と球を打っていくのが村上のゴルフスタイル。

ジャンボ尾崎のゴルフはこうだ。

ドライバーでできるだけ遠くへ飛ばし、あとはウェッジでちょん。人が5番を持ったら自分は7番。ああだこうだ言っても、より短いクラブの方が有利なことは誰も否定できない。だからロングホールは、尾崎にとって独壇場。バーディが必ずといっていいほど取れるのだから。計算するまでもなく4つのロングホールを全部バーディであがったら68であがれる。少なくとも、2つか3つかは人より余計に預金していることになる。

画像: ドライバーを飛ばして短い番手でピンを狙う尾崎のスタイル

ドライバーを飛ばして短い番手でピンを狙う尾崎のスタイル

したがって尾崎が勝つためには、ドライバーを曲げないこと。この1点にかかっているといってもよい。ドライバーで人より1メートルでも2メートルでも前に飛ばしてウェッジで勝負する。そして、ジャンボはウェッジがめっぽう上手い。単なる飛ばし屋でない理由がそこにある。

今まで勝てなかったのも、武器であるドライバーがめちゃくちゃに曲がり、得意のウェッジが生かせなかったのである。

さて、この日のジャンボ。

1番で3日目の18番でみせたようなものすごい引っかけ。球は左の林を越えて隣のホールへ。その時おそらく村上はこう思ったに違いない。

「尾崎の自滅を待てばいい。自分のゴルフをしていけば絶対に勝てる。これまでもそうだった…」と。自分のエリアに球を運び、ジリジリと相手を圧迫していけば、自滅してくれる、と。おまけに差が2つ。自分の優勝をかたく信じていたに違いない。

ところがどっこい。尾崎はドライバーを完全にミスしたのはその1番だけ。2番からは今まで忘れたいたかのようにするどい球が飛び出していく。

それでも、村上はいつものように黙々と歩みを進めていく。だが、舞台の嵐山はフェアウェイが極端に狭く、ラフは伸ばし放題。ちなみに4番、5番でフェアウェイの幅を測ってみると、20メートル、10メートルしかない。田んぼのあぜ道のように細いフェアウェイだ。

村上と尾崎のゴルフに、「ラフから打つ」という要素が加わった。そうなるとパワーに勝る尾崎が有利なのは明らか。

尾崎、5、7、8、9番と連続バーディ。6アンダー。

画像: 村上とのデッドヒートとなった最終日

村上とのデッドヒートとなった最終日

画像: 深いラフからショットを放つ尾崎

深いラフからショットを放つ尾崎

一方の村上は6番のボギーで4アンダー。スタート前とは逆に、2つの差ができた。村上は段々と焦ってくる。いっこうに尾崎が自滅しない。こらえているのがはっきりとわかる。

そして訪れたドラマ。12番。村上、1メートル強のバーディチャンス。尾崎は右のラフに外し、そこからの寄せも5メートル外す。これを尾崎が外し、村上が入れればまた立場は逆転する。多分、逆転するだろうと誰もが思ったはずである。

ところが、尾崎が5メートルを沈めてパーで切り抜けた。まるでいつもの尾崎と村上が入れ替わったようである。

村上の顔にひと筋赤味が走った。本当は短気といわれる村上が、「もう我慢はこれまでだ」とばかり、バイザーをグリーンに叩きつけるように置き、バーディにトライする。しかし、そのパットは打ち切れずに球は右に逃げる。村上らしからぬパッティングを見せた。

この時、村上は自分のゴルフを放棄した。そしてこの時、村上は尾崎に負けた。

18番、尾崎のスーパーショットは、いわば付録だ。

それにしても尾崎は、やはりヒーローたりうる天分をもっている。土壇場で劇的に完璧に相手を葬り去ったのだから――。

「きのう、なぜ今まで勝てなかったのかつくづく考えてみた。今までは18ホールの予想を立てていたんだ。予想通りいかなければ悔いが残る。それより1ホール、1ホール真剣にとり組むことにした。あくまで慎重に慎重に…」

ジャンボ尾崎はまたひとつ悟った。さらに大きく邁進するために――。

(週刊ゴルフダイジェスト1976年7月28号)

1976年関東オープン最終結果
嵐山CC/6311メートル/パー72
1位-6  尾崎将司(日東興業)
2位-5  村上隆(フリー)
3位-4  青木功(日本電建)  
     小林富士夫(関東工営)
5位-3  菊地勝司(嵐山)
6位-2  高井吉春(バーニング)
7位-1  山田健一(デサント)
     安田春雄(フリー)
     新井規矩雄(フリー) 
     原孝男(我孫子)

画像: ウイニングパットを決めギャラリーの声援に応える。13ヵ月ぶりの勝利となった

ウイニングパットを決めギャラリーの声援に応える。13ヵ月ぶりの勝利となった

嵐山カントリークラブ
埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146
TEL 0493‐62‐2355
コースタイプ/丘陵コース
グリーン/ベントの2グリーン
18ホール/6764ヤード/パー72
コースレート72.6/スロープレート126
会員権/預託金制で譲渡可
設計/小寺酉二
開場/1975年
最寄りIC/関越道・東松山ICから7キロ
最寄り駅/東武東上線・森林公園駅
公式ホームページはこちら

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画像: golfdigest-play.jp
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