青木は「青木時代」という言葉が気に入らなかった。「1年だけじゃ“時代”なんてことは言えないよ。3年、4年と続いた時、はじめて時代と呼ばれるにふさわしい。オレはまだ、そこまでいっていない」と、コブシを握りしめながら青木は語ったことがある。「時代」と呼ばれるにふさわしい自分。青木はそれをみつめた。そして、今年のトーナメントがスタートした。中日クラウンズ、日本プロマッチ。昨年獲ったタイトルを今年も獲得し、「青木時代」へのステップを一歩ずつ積み重ねていった。

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

筋書きとおりと言ってはなんですが…

画像: 関東プロ2連覇に挑んだ青木

関東プロ2連覇に挑んだ青木

青木、「2連覇続きだが、別に狙っているわけじゃない。狙ってとれるなら別だが…」

その言葉とは裏腹に、青木は関東プロ2連覇を射程圏に置いていた。

初日、尾崎、中村稔に続いて3位。2日目、コースレコード66を出し、一気にトップへ。2位安田に5ストロークの差をつけた。

すでに青木の勝利は、この時点で動かなかった。あるプロは青木の口真似で言った。「何が関東プロだ、プロはオレひとりしかいねえ」と。

他の選手は青木の強さに圧倒され、青木を倒すことではなくナンバー2の座を狙う。

3日目、パープレー、2位が川田時志春と変わる。差は前日より1打ひろがり6打差。

3日目の夜、青木は言う。「今、オレは欲張りになっている。本当にそう思っているよ。カネのことじゃない。自分が一体どこまでやれるか試してみたいんだ。試せるところならば、いつでもどこでも、行ってみるつもりだ」と。

昨年、青木は自分の年齢を考えた。「36歳。これからそんなに長く出来るわけじゃない。やれる時、勝てる時に勝っておきたい」と。

画像: 青木のティショット

青木のティショット

だが、今年の青木は、挑戦する「心」をもった。「しゃんめい」から「忍耐」、そして「挑戦」へと、青木は変わっていた。

最終日、1番、8番ボギー。9番バーディ。インに入ってパーが連続する。

青木、「尾崎が近よってきたなと思ったが、すぐにいなくなっちまった」

18番グリーンでウィニングボールをカップに放り込む。

「どんなコースでやったって恐くない。全米オープンで化け物みたいなコースでやってきたんだもの。ラフが深いのグリーンが速いのっていったってたかが知れているよ」と青木は言い放つ。そして、「だからこそ、多くの経験が大切なんだ。経験を積んだからこそ、自分の体が、ゴルフの難しさを知り、自分の気持ちに張りを持たせることが出来るんだ」

画像: 全米オープンでの経験が気持ちに張りを持たせたと青木

全米オープンでの経験が気持ちに張りを持たせたと青木

今月、青木は全英オープンに出場するために渡英する。

「昨年以上の成績を残したい。だがオレとしては、初出場するつもりで挑戦したい。そして、新しい経験を積みたい」と。

表彰式が終わり、帰り際に、青木は左肩をおさえた。痛みがはしるという。

「プレー中は全然感じなかったが…。疲れだけだと思う。ラウンドしている時は、気持ちの張りが痛みを感じさせなかったんだろう」

勝つべき運命を背負って青木は、この関東プロという舞台に上がった。疲れ、プレッシャー、それらすべてをはねのけた今、「青木時代」へ大きな階段を上がった。

閉会式、中村寅吉関東プロ会長は、声を張り上げた。「筋書き通りといってはなんですが、青木選手が勝ちまして…」

画像: キャディとともにショットを待つ

キャディとともにショットを待つ

筑波大学スポーツ心理学助教授が見た尾崎、金井の「男の戦い」

関東プロ最終日を見る。

3日目までのスコアは青木が2位を6打離して10アンダー。今日の青木は堅いゴルフをするに違いない。ということで、青木の1組前の尾崎将司、金井清一、山田健一のグループについた。必ずや熾烈な2位争いが見られるに違いない。

尾崎が2番、3番でバーディをとり、5アンダーで飛び出した。だが7番でトラブルが起こった。ティショットを右の林に打ち込み、ボールはヘビーラフの中。にもかかわらず、尾崎はウッドを持ち出して打った。しかし、というべきか当然というべきかチョロ。結局、ボギー。尾崎はがっくりした様子で8番(170メートル、パー3)へ。1オンはしたが8メートルのバーディパットを外した。

画像: 尾崎はスコアを伸ばせず4位タイ

尾崎はスコアを伸ばせず4位タイ

この時、不吉な予感がした。顔をしかめ、体をぐにゃぐにゃねじる、すねた仕草を始めたからだ。パーパットは入らず、返しに50センチも入らず、4パット。

振り返ってみれば、5番で3パットし、尾崎の精神は動揺していた。2つのバーディをなんなく決め、「今日はパットの感じがいい」と信じていたはず。それが50センチのパットを外したことで、自分自身への苛立ちを感じた。

画像: 終わってみれば2位に5打差をつけての優勝だった

終わってみれば2位に5打差をつけての優勝だった

6番でグリーンエッジからのチップに失敗した時、サンドウェッジを投げ捨てた。この時、7番、8番の悲劇が潜在的に作られていた。

この2ホールで尾崎の戦意は失われたようだった。

メリハリのあるプレー、意気込みが見ているものに伝わってこない。

尾崎プロ!調子のよい時、笑顔をふりまくだけがショーマンシップではありません。調子が悪い時でさえ、その気分を外に生かさず毅然たる態度で戦い続けることも必要なのです。それが、「男の戦い」を見るものに希望とロマンを与えるのです。

ゴルフは時に我慢のスポーツであり、待ちのゲームであることを金井が示してくれた。最後をボギーにしたが、それまで2バーディ、ノーボギー。幾度もバーディパットを外したが、歯をくいしばって表情を崩さない。戦う男の姿がそこにあった。

金井はスタート前、尾崎、山田という飛ばし屋と一緒では、リズムが狂うと心配していた。しかし、自分のゴルフに徹することで2位を獲得した。

リラックスと緊張。この2つを噛み合わせ、コントロールすることが、ゴルフトーナメントでは欠かせない。正確なプレーの原点である。

金井のプレーは、東筑波のギャラリーの人々に、正確なゴルフが飛びのゴルフをいかに克服したかを眼のあたりに示した。これはギャラリーにとって、素晴らしい贈り物になったはずである。

画像1: 筑波大学スポーツ心理学助教授が見た尾崎、金井の「男の戦い」

【1979年関東プロ最終結果】
東筑波CC/6551メートル/パー72
1位 ‐9  青木功(日本電建)
2位 ‐4  金井清一(ダイワ精工)
2位 ‐4  川田時志春(川越)
4位 0  長谷川勝治(船橋)
4位 0  尾崎将司(日東興業)
4位 0  山田健一(フリー)
4位 0  常陸文男(千葉新日本)

東筑波カントリークラブ
茨城県石岡市上林1224‐2
TEL 0299‐43‐0951
北コース/3672ヤード/パー36
中コース/3498ヤード/パー36
南コース/3336ヤード/パー36
コースタイプ/林間丘陵コース
グリーン/ベントの2グリーン
設計/ウォルター・マクネイル
練習場/230ヤード/アプローチ、バンカーあり
加盟連盟/JGA、KGA
会員権/預託金制で譲渡可
開場/1976年
最寄りIC/常磐自動車道・千代田石岡ICから11キロ
最寄り駅/JR常磐線・石岡駅
公式ホームページはこちら

現在の東筑波カントリークラブ

画像: ベントの2グリーン

ベントの2グリーン

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画像2: 筑波大学スポーツ心理学助教授が見た尾崎、金井の「男の戦い」

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