うまい蕎麦は「そば粉」と「水」で決まる!
もともとこの地域は、房総半島の中央部を走る清澄山系に降る豊富な雨が、幾重にも重なる粘土と砂の層によって濾過され、ミネラル分を多く含む岩盤層の地下深くに流れるという背景を持つ。江戸時代末期から明治初期にかけてこの地域で考案された井戸掘りの工法「上総掘り」によって、ミネラル豊富な伏流水が利用されるようになった。その水質のよさから酒造業が栄えるようになった。
一方で蕎麦の歴史は比較的浅い。この地に創業して30年ほどの「安万支」(あまき)の女将によれば、「ここ20年でぽつぽつとお店が出来てきた程度」とのこと。特に有名な観光地でもなく、人気店がしのぎを削るわけでもないこの地域だが、都心から好き者が足しげく通う、隠れた蕎麦エリアだったりもする。そんな久留里で「打ちたて」にこだわり、淡々と仕事を続けてきた小さな蕎麦屋が安万支だ。
まず目に飛び込むのが蕎麦打ちの小部屋。窓から入る陽の光を受けて、磨き込まれたのし板がまぶしいほどに光る。「うちは毎朝5時に蕎麦を打って、それがなくなったら店じまい。場所柄、そこまでお客さんが来るわけじゃないので、たいがい夕方までは営業していますよ」
控えめに笑う女将さんの奥で、寡黙な店主が磨き込まれた釜に火を入れる。グラグラ煮え立つ鍋へ大事そうに蕎麦を入れる。北海道産の玄そばを久留里の井戸水で打った二八そば。つゆは利尻の昆布と築地からとる鰹の本節を蒸かし、削ったものを使っている。角がしっかり立った蕎麦は瑞々しく艶を帯びている。まずはひと口、そのまま口に入れると、蕎麦の香りと強いコシを感じる。今度はつゆにくぐらせ一気にすすると、これが驚くほどの喉ごしのよさ。蕎麦打ちに最適と言われるミネラル豊富な軟水で打たれた蕎麦は、キレの良いつゆとよく合い、あっという間になくなった。
「蕎麦はできればすぐに食べてほしいんです」と申し訳なさそうに女将さんがいう。旨い蕎麦の大きな条件である「喉ごし」を気にしてのことだ。撮影に時間がかかりヤキモキさせてしまったようだ。(ごめんなさい)
店の窓から道向かいの小さな井戸で水を飲む小学生や老人の姿が見えた。所有者が好意で開放している井戸は、誰によるものか手入れが行き届いている。長い年月をかけ土地の栄養を蓄えた「生きた水」は、そのものが故郷の味なのかもしれない。特に有名な観光地でもなく、有名店が軒を連ねるわけでもないが、好き者が通い続ける理由は、どことなく懐かしい「故郷の香り」を求めてなのだろうと思う。