クラブと体の双方を理想の動きへ、パワーゴルフの到来
タイガー・ウッズの出現でゴルフの常識が次々に変わります。スウィング的には、体からクラブ重視に変わった理論を、さらにタイガーは進化させます。それは体とクラブ双方の理想的な動きを追及したということです。(江連)
それを可能にしたブッチ・ハーモンは選手の個性を生かす指導者でした。タイガーの人並み外れた身体能力を生かしつつ、ノーマンの力強さ、二クラスの頑強な左サイド、プライスのキレ、ファルドのリズムとタイミング…と、すべての要素を取り込むことに成功したのです。
この時期から選手はスウィングとともに肉体改造に着手する時代に突入していきます。パワーゴルフ時代のはじまりです。
1998年 ブッチ・ハーモン時代(平成10年)
クラブも体も流れるように動き、それがスウィングのダイナミックさにつながている。「個人的には98年から02年あたりまでが一番好きなスウィング」と江連氏。
コーチによって変わるスウィング
タイガーはこれまでに4人のコーチとともに、スウィング改造に取り組んできました。多くの議論はそのスウィングに優劣を付けたがりますが、道具の進化やコースの変化、さらにひざや腰の故障、加齢なども踏まえ、いつの時代もさらなる高みを求めての挑戦だったと理解しています。
それは1997年のマスターズで、2位に12打の差をつけて圧勝した翌日に、さらなる高みを求めてブッチとスウィング改造に着手したことでもわかります。ブッチとともにすでに「神のスウィング」を手に入れ、世界ランク1位であったにもかかわらずです。
それはともかくとして、ブッチは形にこだわることなく、タイガーの個性を上手に引き出すタイプのコーチでした。私は親分的コーチと呼んでいますが、タイガーに求められたときに的確なアドバイスができるテクニカルコーチを越えた、メンタルコーチ的な役割も持っていたと思います。
04年にハンク・ヘイニーにコーチが変わりますが、ブッチ時代を踏襲して、見た目にはやや軌道がフラットになったマイナーチェンジといったところでしょうか。この時期はひざの故障に悩まされ続けたため、その負担を軽減する必要があったのでしょう。
10年にショーン・フォーリーがコーチになると、スタンスが狭くなり、体重移動を減らして回転でボールを飛ばすスウィングに変わっています。ただ、上体を回そうという意識のせいか、インパクトからフォローでの下半身の窮屈さと、強引に大きなフィニッシュを取ろうとするストレスを感じます。
それを経て、14年から17年までクリス・コモからコーチングを受け、体にやさしいスウィングに変わっていきました。淀みのなさは全盛期に戻りました。改造というより常にスウィングを進化させているのがタイガーです。
2005年 ハンク・ヘイニー時代
ダウンスウィングでの沈み込みがやや減り、よりフラットなスウィングへとチェンジ。この時期、ひざの故障に悩まされていたこともあり、負担を軽減する目的もあった。
2010年 ショーン・フォーリー時代
「スタック&チルト」と呼ばれる左1軸理論に取り組み、体重移動を減らし、体の回転でのスウィングを試みたが、窮屈感があり体とクラブへのストレスは否めなかった。
2018年 クリス・コモ時代
全盛期のようにオイリー(なめらか)に戻ってきたし、クラブヘッドもよく動き、フィニッシュも体に巻き付き、高くいいところに収まっています。(江連)
「感性」→「物理」、「体主役」→「クラブに仕事」→「クラブと体のシンクロ」→「モアパワー」、ゴルフ界を牽引したタイガーのスウィングの変化は、この30年のスウィング変遷そのものでもあった。さらに、「その先」を体現するプレーヤーが出始めている。第3回へつづく。
週刊GD2019年5月7日・14日号より