政界「夏の陣」がなければ目標は達成されていた
では実際に何ラウンドまわったかというと56.5ラウンド、ホールにして1017ホールを廻った。1日平均32.8ホールをこなしたことになる。ラウンド数にして1ラウンドと14ホール。
なんともすさましい数字である。しかし実際、これだけの数字を間違いなくこなしたのである。雨の日も風の日も毎日、毎日、一日も欠かさず31日間やり遂げた。センセイはすでに63歳の年齢である。老人といっては、いささか失礼かもしれないが、その体力には驚かされる。
ところで田中センセイ、なぜこれだけゴルフに執念を燃やすのか。なんでも田中は、今年の正月にことゴルフに関して一つの目標を立てた。その目標というのはこの1年間、つまり365日のあいだに250ラウンド。つまりホール数にして4500ホールを廻るという目標なのである。
この目標に向かってスケジュールをこなしている。したがって、今夏の56ラウンド半の消化も単なるそのプロセスにすぎない。
「いやア、もう根性ですよ、根性。それしか、いうことはありません。なにかに挑戦されているんです。それをはね返してしまおうとしていらっしゃるんです…」
こう話すのは、8月29日、女優司葉子の夫君、衆議院議員、相沢秀之、それに大原一三氏と一緒にまわった羽田孜氏(衆議院議員)だ。
「歩くのが早いんですよ。30代の私らもあの早さにはかないません。田中先生は軍隊時代に30キロも40キロも背中に荷物をかついで行軍した時とくらべれば、2、3本のアイアンを持って、芝生の上を歩くことなどなんでもないよとおっしゃるんです。なるほどと思いましたわ…」
羽田センセイは、このようにその秘密を明かしてくれる。よく田中角栄のゴルフはせっかちゴルフといわれる。それは1日に3ラウンド廻ったとか、巷間つたえられているからだ。
なるほど、1日に3ラウンドも廻るということは、ゴルフを知っている人にとっても、「へえーッ、すごい、そんなにまわれるもんかねェ」と思うにちがいない。
たいていの人はよく廻って2ラウンド、普通は1ラウンドというのが通り相場になっている。しかし田中センセイは、普通で1日2ラウンドを廻わる。なぜ1日に2ラウンド、3ラウンドも廻わることが可能なのか、その秘密は――。
答えは簡単に出てくる。つまり、ゴルフをやる人は早起きをして、家を出る。ゴルフ場まで1時間、長くて2時間はかかる。スタートは9時前後になる。午前中にハーフを廻って午後にハーフを廻わる。3時頃になって終わり、風呂に入って仲間とビールで乾杯。それが平均的ゴルファーの消化する時間帯と考えればいい。
ところが田中センセイは、この平均的ゴルファーと一緒にできない。それが1日、2ラウンド、3ラウンドも廻れるという秘密ということになる。
なぜなら、今夏、田中センセイは軽井沢の「72」(セブンツー)ゴルフ場で、56ラウンド・ハーフを廻った。このゴルフ場から車で10分足らずのところに、田中センセイの広大な別荘がある。
田中センセイのスタートは7時15分である。午前中に1ラウンドの18ホールは、時間的にみても十分に廻れる。うまく行くと、1ラウンド・ハーフでも十分に廻れる。日曜日は、どこのゴルフ場も同じように混みあうが、平日になると途端に客足が落ちる。
前がつかえて、待つということがない。田中センセイのドライバーショットは、ちょっと驚かれるかも知れないが、正確無比という定評がある。右にそれるとか左の林にホールが飛ぶことは、ほとんどない。コンピューターの打ち出した球のごとくにまっすぐ飛んでゆく。足が早い。アイアンも正確にまっすぐゆく。パターもスリーパットはめったにしない。
「センセイのショットは、まっすぐ飛ぶんですよ。私もセンセイとは数え切れないほどご一緒させてもらっていますが、ドライバーでもアイアンでも曲がったのは、見たことはないですよ」(小沢一郎衆議院議員談)
これは異口同音、田中センセイと一緒に廻った諸センセイ方の一致したコメントなのである。これは巷間つたえられる「田中ゴルフ」といささか違うではないか。歩くのが30代の男達よりも早い。ドライバー、アイアンは正確に飛ぶ。これでは、ハーフ2時間とはかからない。10時頃になるとワンラウンドを廻る。
パートナーのセンセイ方もみんなハーフを40台で廻る。田中センセイの足の早さにみんなついて行ける。夏は夕方になっても6時か6時30分頃まで廻ることが不可能ではない。昼の食事にしても決して、ビールを飲んだり、食事に時間をかけることはない。20分もあれば、十分食事は出来る。
かくて、12時30分には、午後からのスタートになる。それから、陽が暮れる6時30分まで、6時間である。田中センセイの足の早さと、正確無比なショット、3人のペア、みんな40台で廻れる実力(?)を持つ。
一日、10時間をゴルフに費やせる。十分に3ラウンド、54ホールは廻れる。かくて田中式ゴルフは一日3ラウンドを消化することを可能にする。
なるほど今夏、田中角栄は超大バカンスをすべてゴルフにかけたかにみえたが、実際はそうではない。
単純に計算しても一日、3ラウンドを消化したとすると31日で93ラウンドが廻れることになる。一日2ラウンドとして、62ラウンド。しかし実際、田中センセイは56.5しか廻っていない。一日平均2ラウンドより、5ラウンド半も少ない。
そこは政界の実力者、ゴルフばかりしてはいられなかったのである。鈴木善幸首相、中曾根行政管理庁長官、河本経済企画庁長官なども田中センセイと「72」でゴルフをやり、そのあいだに高度な政治の話し合いが行われた、ともいわれている。
今夏の政界「夏の陣」も田中センセイを中心に展開したといっても過言ではない。それが、目標を達成できなかった最大の理由でもある。
田中センセイが廻った軽井沢72特集はこちら↓
使用クラブはケネス・スミスかと思いきや「パワービルト」
田中センセイが使用しているクラブはパワービルトである。ウッド、アイアン、サンドウェッジ、パターを入れて総額、約24万円のものを使用している。
「それ、本当ッ、意外に安いものを使っているんだねェッ」
取材中、田中の使用クラブが話題のひとつになったとき、筆者がその使用クラブの名前を明らかにすると、ゴルフが三度の飯よりも好きな友人は、そういって驚いた。
友人は田中センセイとあろう人が、オール、ブラックシャフトで、体重、身長、握力などを計算し、その人の身体にあったクラブを特別オーダーして作るというケネス・スミスのものを使っていると思い込んでいたという。このケネス・スミスは、フルセットで約90万円もするといわれている。
現実はかならずしもそうではない。
このパワービルトの特徴はドライバーにある。柿の木の最高級品を使って作られており、そのため他のドライバーよりよく飛ぶことで知られている。田中のドライバーの飛距離は平均して170ヤードから180ヤードで、その辺りに使用クラブ選択の苦心ぶりがうかがえる。
田中角栄のゴルフハンディは国会便覧(これは議員名、住所、当選回数、経歴、選挙の得票数、各官公庁の住所、電話番号、高級官僚の名前、囲碁、剣道、合気道、柔道、ゴルフの等級などが記載されている本)によれば、「17」となっている。
もちろん田中センセイの目標はシングルプレーヤーになること。このハンディ17は他に衆議院議員では、元外務大臣・木村俊夫、法務大臣の奥野誠亮、それに明治の歌人、与謝野鉄幹の孫の与謝野馨らがいる。政界ナンバーワンは、参議院議員の細川護熙氏で、ハンディが「1」という、プロゴルファーなみの腕前の人である。
とにかく、田中センセイのゴルフ人気は、目をみはるものがある。というのは田中と相手になるメンバーはたいてい田中派の若手議員が多い。一番多く相手を勤めたのは石井一氏(兵庫一区選出)ついで林義郎氏(山口県一区選出)渡部恒三氏(福島県二区)小沢一郎氏(岩手県二区)羽田孜氏(長野県二区)以下、相沢英之氏(鳥取県選出)大原一三氏(宮崎県一区)といった面々。
こうした若手政治家は田中角栄にゴルフを誘われるのはもちろん名誉なことこのうえもないという。その政治家らの秘書連が、ある人はニコンのカメラ、ある人はコンパクトカメラを持ちカラーフィルムをその中に収めて、写真を撮りまくる。田中のスタートのショットはもちろんのことバンカーショット、グリーンでのパット、わがセンセイと田中センセイとふたり仲よく、プレーしているところ。それに、終わったあと食堂で歓談しているカットといったように。
「72のゴルフ場は、キャディよりよく知っていらっしゃいますよ。何番ホールでしたか、田中センセイはキャディに、台風で木が倒れ穴があいているところがあるから、砂を埋めておいたらいいよ、なんて注意されるんですよ、キャディさんがびっくりしていました」(某秘書談)
田中角栄のゴルフへのすさまじい執念
コンピュータ付きブルドーザー、とはよくいったもので、ゴルフのプレーの中でも十分に発揮している。田中センセイには現在要人警護ということで警視庁からSPがひとりついている。そして運転手。あるとき軽井沢の別荘のお手伝いさんが夏休みということで故郷に帰った。
残されたのは田中と運転手、それにSPの3人だけ。朝ごはん、夕食を作るお手伝いさんもいない。運転手は車に乗って町に買い物、田中角栄は、ご飯を炊いたり、食事の用意をする。嘘みたいな本当の話である。自分で米をといで、炊飯器をかけて…。これもみんなゴルフをやるためにいとわぬ苦労というわけ。なんともすさまじい根性というか、執念。
それにもうひとつ。田中センセイ、これまで自分が消化したゴルフのスコアを全部保存している。
それが段ボール箱一杯分にもなっている。日本国中、どこのゴルフ場でやってもカードだけは、ちゃんと自分で持って帰る。決して秘書や、側近の連中には任せない。ここにも田中角栄のゴルフへのすさまじい限りの執念がうかがえる。そのスコアをみて反省、研究に余念がないという。
田中の成績は平均、ボギーペースのゴルフである。つまり、ハーフ45前後では廻るというもの。これはハンディにもはっきりあらわれている。40台前半で廻った時はすこぶるご機嫌がいい。けれども50台を出すと、途端にご機嫌が悪くなる。
「あそこのホールは許せん、バンカーが多すぎる。改造させてやるッ」
もちろんジョークなのであるが、その迫力に周囲はビックリしてしまう。
「センセイは打つのも早いですよ。考えて打っちゃいかんとおっしゃいましてねェ、すべて勘で打てと教えていただいています。それでいて40台ですからね」(前出、羽田孜代議士)
プレーが終わったあとは、シャワーをシュッと5、6分で身体を洗う。あとは食堂で他の人たちはビールを飲むが、田中はオールドパーの水割りでそれを2、3杯、たてつづけに飲んでサッとゴルフ姿のままで車に乗り込む。
羽田孜代議士はいつもいつもオヤジこと田中角栄の迫力に尊敬の念を抱いている田中派代議士の若手であるが、その羽田代議士は、ここ軽井沢は自分の選挙区でもある。
あるとき、羽田孜後援会の青年部の人たちが30~40名、田中センセイのゴルフのあと、懇親会を持った。ゴルフ姿のまま、その若手を前に、約1時間40分も話し続けた。もちろんこの日も、2ラウンド・ハーフ。45ホールも廻ってきたあとである。まったくつかれを知らない様子で、この人が45ホールも廻ってきた人かとその青年たちがビックリしてしまう。そこは若いとき土建業できたえた身体である。ビクともしない。
田中にとってゴルフは最大の健康法なのである。正確に8月31日、田中は軽井沢の別荘を引き上げ、東京に帰った。ゴルフ焼けした顔は茶色に光っている。
今度は箱根で田中派の七日会の研修会が行われた。これには約600名の青年たちが参加して、勉強会なるものが開かれる。
もちろん田中センセイも特別ゲストとして出席する。約1時間の講演。それがすむと、すぐさま大箱根ゴルフ場で田中角栄杯なるゴルフコンペが行われた。優勝は小沢一郎氏。この七日会研修会で校長役をやった。もちろん田中も参加する。優勝の小沢一郎氏のスコアとひけをとらない。かくて田中センセイのゴルフはとどまることを知らない。
という具合で、今年の目標の250ラウンドの半分以上はすでに消化した。しかし田中角栄の胸中には早くも来年の夏のゴルフ計画が立てられているという。なんとその目標は80ラウンドとも伝えられている。今年のも目標達成が成しとげられなかった口惜しさが来年の目標計画である。
今年の夏に56.5ラウンドをやったことにも人はビックリしているのになんともすさまじいゴルフ狂ではあるまいか。来年の今頃になると田中角栄のスコアカードで段ボール2箱目がいっぱいになっていることだろう。
(週刊ゴルフダイジェスト1981年10月7日号)
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