スタート前のクラブハウス。中島(後に中嶋に改名)はミルクを飲みほしながらこう言った。「このコンディションなら、トップグループのスコアは伸びない。3つ(バーディ)沈めれば勝てる」。大会3日目まで、雪帽子をかぶり、その雄姿を見せていた富士も、最終日は低くたれこめた厚い雲に覆われてしまった。横なぐりの強い雨である。ポカポカ陽気も一転、気温はグッと下がった。

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

画像: 1976年のゴルフダイジェストトーナメントは、東名カントリークラブで行われた

1976年のゴルフダイジェストトーナメントは、東名カントリークラブで行われた

予言通り、トップグループは崩れだした。11アンダーでトーナメントリーダーの新井規矩雄が、アウトを2ボギー、1トリプルボギーの41。8アンダー2位タイでスタートした石井裕士も、ボギー、ダブルボギーを重ねて39。この時点で、前半をパープレーでまわった中島は、2打差でトップに躍り出た。

再びスタート前のクラブハウス。中島は野球評論家・後藤修から1枚の百円硬貨をもらった。過日行われた大洋―巨人戦で、川崎球場から出された大入袋の中身だ。5年前、当時新人だったジャンボ尾崎も、同じ大入袋をもらって、プロ入り初優勝を飾ったというツキの袋でもある。

14番の短いミドル(パー4)。中島は第2打をピッチングで打って、グリーンをダイレクトにオーバーし、あわやOB。ところがそのボールがギャラリーの傘に当たってセーフ。これを寄せてパーを拾う。

中島は「15番と17番がこわいね」と言った。両方とも右にOBが待ち受け、この日は左からのいやなクロスウィンドが吹いている。その15番パー4。フェアウェイのセンターへベストドライブを放った中島は、ピン右奥2.5メートルに2オン。この下りパットを見事に沈めてバーディ。新井らのスコアは伸びず、優勝はこれで決まった。

後藤修(1934年―)
プロ野球選手でありながら日本アマチュアゴルフに優勝した新田恭一に師事。新田が松竹ロビンズの監督に就任したことで、プロ野球界入りを果たす。1952年から1963年の9年間で、大洋、東映、大映、巨人、近鉄、南海、西鉄の8球団を渡り歩いたことで「ジプシー後藤」と呼ばれるようになる。引退後、ゴルフコーチに転身。ジャンボ尾崎、中嶋常幸の軍師として話題となる。自身の理論「スクェア打法」を提唱し、「後藤塾」を開講した。

ジプシー後藤の・・・独断的観戦記。

画像: 雨にも関わらず多くのギャラリーが駆け付けた

雨にも関わらず多くのギャラリーが駆け付けた

ゴルフダイジェストトーナメントは「汚名」挽回のトーナメントである?

すなわち、この大会に過去5回で各五代生まれた歴代の優勝者の顔ぶれを見ると…。第一代、ジャンボ尾崎。当時は新人だった彼は、この試合の直前に九州で行われた日本プロと次週の瀬戸内海サーキ
ットに連勝して、破竹の勢いの始まりだったものの、九州や瀬戸内海あたりで勝ったって、今度勝てなきゃ「ドサマワリチャンピオン」だと、言われていた? のを挽回。

第二代、安田春雄。「最終日に弱い」とか、「大詰めでしびれる」と言われていた安田は、この第2回の決勝日のインで5ホール連続バーディなどを見せて大逆転、大挽回。

第三代、杉原輝雄。この「小技名人」も、距離のあるコースや、雨で球が飛ばなくなった日はお手上げと言われていたが、第3回の4日目は雨で時々試合は中断された程の悪条件下で見事優勝。

第四代、村上隆。この試合に勝つまでの村上は常に上位の常連ながら、もう一つパッとせずに「万年2位」と言われていたのを挽回。

第五代、山田健一。未完の大器だった彼はこの試合までプロ入りゼロ勝だったのを挽回。という風に、歴代優勝者それぞれが、いってみれば有難いような有難くないような、それ迄の「イメージ」をこの試合でとにかく「挽回」しての勝利なのである。

ここで今回の挽回者(=優勝者)は誰になるか? さっそく取材にかけつけたのは予選を終わった3日目からであるが、(尾崎、青木、山田、横島、尾崎弟=落選、安田=欠場)どうも今回は、私と一度でも一緒にプレーしたことのある者は、早速手あたりしだいに、「おれの弟子」なんて言う、「汚名」を「挽回」したくてみんな逃げてしまった。

画像: ジャンボ尾崎は今大会は予選落ちとなった

ジャンボ尾崎は今大会は予選落ちとなった

いや待て、最近大売り出し中の新星である中島常幸「弟子?」がいた。

またまた先見の明ありで申し訳ないが、この中島は尾崎以来の大物新人として、私はもう数年前から尾崎以来の大肩入れをしてある。

で、まあ、本日最終日には「中京で抜群に強いが…」の内田繁(-8)同じく、「この間、絶対に勝てる試合を固くなって逃した…」榎本七郎(-7)と、「名前を変えても効果がない…」石井裕士(
-5)。そして終わりから2番目の組は、「ドライバーはNO.1だが…」の新井規矩雄(-7)、「一度だけ勝ったことはあるが…」の前田新作(-5)、「飛ばすことは飛ばすが…」の金本章鉠(-4)の3人であるが、3日目だから、まずはともあれただ今(-3)の中島常幸「弟子」の組を見よう。同伴者は、「時々新聞に名前はのるが…」の中村稔と、「体格は尾崎以上だが…」の金海繁。

3日目。まずいい所につけた中島「弟子」

画像: 中島のパッティング

中島のパッティング

ただしこの3人はそろって-3だが、ここら辺(-3や-2)には他にも汚名を挽回したい者が沢山おり、すぐ前の組あたりには「バンカーは名人だが…」の宮本省三や、「顔は赤鬼みたいに強そうだが…」の田中文雄、「英国では強かったが…」の鈴木規夫、「関西のプリンスの筈だが…」の島田幸作、「風が吹く時は強いが…」の謝敏男、「関西ヤング四天王は何してる?」の中村通、山本善隆、吉川一雄、宮本康弘等々、皆、挽回圏内にいるから、前後の組にも注意を注ぎながらのスタートである。

画像: 3日目までトップにいたのは新井規矩雄(左)と2位だった石井裕士(右)

3日目までトップにいたのは新井規矩雄(左)と2位だった石井裕士(右)

まず、1、2番をパーで出た中島であるが、次の3番パー5では、後続でお互い譲らずの飛ばしっこしている新井、前田、金本の内、二人は私の弟子だからちょっと私が後へさがっているいる間に、前では中島がひがんで? のスリーパットでボギーとしたらしい。

この野郎、私の取材のジャマするな。私がついていないとすぐヘマをするとは尾崎以来の「面倒かけ弟子」だ。

しかたない、続く4番はさっそく追いついて気合を入れる。

私「まだ1オーバーか。いつもいつも、オレの前だと必ず1オーバーだ」。

実を言えば中島常幸の試合を私が「正式」に見るのは初めてなのだが、プライベートで見に行った月例試合とか、一緒に練習でプレーなどする機会に彼は、片方だけでもアンダーパーが出れば満足みたいな顔をして、合計では結局+1になる場合がとても多く、それを私はいつも「アマチュアグセ」と言って厳しく罰金刑? に課したりしているのだ。

だが、続く4番パー3で中島はバーディを取り、7番のパー3も15メートルのパットを入れてまたバーディと来た。

私、「金海プロが1番で3パットしたら、6番で20メートルを入れてバーディだったろう。3パットするものは大ロングパットが入るんだから同じだ。(だからどんどん攻めて行け)」

いいこと教えるなあ「先生」は!? 尾崎だって私はこうやって育てたんだ!?

ところが、続く8番は50メートルの寄せを中島は15メートルも遠くへオン。

私、「いくら、長いのが入るからってアプローチをわざわざ、あんな遠くへ乗せるなんて」

中島、「大丈夫です。それよりも先生、今日はまだグリーンを一度も外さずに全部パーオンですから、これは最後迄まもるから見ててください」

実を言うと、ここ東名カントリークラブのグリーンはパットが猛烈に走る割には、乗せていくショットが見事なスピンがかかって止まるようになっており、それでもこの新人プロはバックスピンさえかかればもう満足のタイプのプロだから同伴者の金海、中村両プロを「よくあんなに強く打てる」とか、「恐いなんてこと全然思ったことのないのか?」などとあきれ返させながら、同時にギャラリーたちをして、「ヒャーッ! あの細い体でよくもあんなにそり返ってひっぱたいて曲がらない」とか、「こんなに体全部を使って打つプロは初めて見た」とか言われて人気の的。それはそうだ。その点、私なんか体全部より頭全部を使ってゴルフするタイプだ。

画像: 当時の中島は、細身の体を目一杯使って放つ力強いショットが特徴だった

当時の中島は、細身の体を目一杯使って放つ力強いショットが特徴だった

しかしまあ、この心臓の点で尾崎に似た所のある中島は、私の頭全部使ったリラックス作戦成功で17、18番は本人から予告付きの連続バーディで、本日5アンダー(トータル-8)は第2位へ大浮上。

ただし、後続組では新井規矩雄が、以前は「ロングホール(パー5)は4つとも全部ツーオンして全部スリーパットしました」なんてことをやっていたが、今回はそういう「ツーオンさえすりゃ満足」のゴルフをやめて、ロングのツーオンはなしながらバーディ沢山ありのトータル-11でただ今トップ。

そして、他で優勝チャンスの選手と言えば、石井裕士-8、宮本康弘-6、前田新作-7、杉原輝雄-6、鈴木久-6等々。

4日目。ついに尾崎、中島の「ON」時代到来

画像: 雨のなかの最終日となった

雨のなかの最終日となった

さて最終日は大雨、強風の最悪天候である。この日濡れ衣を晴らし、風当たりをはね返すのは誰か?

出だし1、2、3番と、みんなつぎつぎにスコアを崩しながら出ていくなかで、やっぱり中島が1番をバーディで出て行き、最終日だけは公人として公平に取材しなくちゃならない私としては一応前半を終わって、ただ今トップの者がいる組につくようにと、クラブハウスで待機していると、8番のパー5で新井規矩雄が痛恨のOB入りのトリプルボギーをやったらしく、中島はアウト36ながら、2位に2打差をつけてトップに上がってきた。

仕方ない!? またこの組につこう。(同伴者は杉原輝雄と前田新作)。実を言うとまあ、私個人としては、前日の夜から「チャンスがあったら勝ってもいい」とか、「結局勝つんじゃないの」とかそのほか縁起ものコインを渡したりして、勝つためのあらゆる暗示作戦及びリラックス作戦。

だが、3ストロークのハンディを背負って出た2位が、半分終わってもう「逃げ」の立場で上がってくるとは思わなかった。

そして9番ホールのプレーを見ていると、このホールは第2打で左にOBやらバンカーがあるので、ほとんどのプロが右の安全方向を狙ってきているのに中島は左から攻めてしかもグリーンオーバーのボギー。

私はまあ「アウトは36でよし」と言ってあるのだが、「先生」の教えに忠実というか、リラックスしすぎたというか35で上がれるところをわざわざ36にしてトップである。

いや、続くインから彼は、この弟子は、この先生をイジメ殺すつもりか、史上最高? のハラハラゴルフを始める。

10番パー4。ここはピンがいちばん右のバンカーぎわにあって、ピンの左(=まん中)狙いが正解なのを、彼はピンの右を狙ってバンカー入り(目玉、アゴ下、片足土手打ち=3メートルを入れてパー)。

私、「目玉でももう少し寄ると思ったぞ」

すると彼はつぎの11番で2打をグリーンオーバーのバンカー入りで、今度はナイスバンカーショットを見せる気らしい。(結果=成功のパー)

そして12番パー3はまたまたグリーンのいちばん奥にのせてかろうじて15メートルを2パットのパー。

そして続く13番パー5は名人杉原と前田でさえグリーンオーバーしたらボギーになった難ホールだが、またまたピンの奥へ向かってバックスピン狙い。(成功、本日は最高にパターが冴えているのにささえられてバーディ)

どうしても奥を狙いたいらしい。ようするに彼はアイアンにバックスピンをかけること以外眼中にな
いらしい??

だが、いくらバーディをとっても、もう危なくて見ちゃいられなくなった私は、少しブレーキをかけに行く。

画像: ボールの行方を見守る中島。アイアンショットがよく飛んでいた

ボールの行方を見守る中島。アイアンショットがよく飛んでいた

私、「アイアンがよく飛んでいる」

すると中島は、次の14番では、それで調子にのって? グリーン奥のギャラリーの傘にぶっつけてバックスピン。(完全にOBの球が見事な寄せワンのパー)

もういい加減にしてくれ。

こうなったら、とっておきのブレーキをかけよう。

私、「さすがの常幸も、優勝を意識してシビれてきたな。シビれているから、球がみんな飛んじゃうんだ」

中島、「しかし、うまくいったなァ、この前、先生が、尾崎さんは絶対にツキを生かしてむだ使いしないと言ったのを思い出して、早速やっちゃったんです」

いい加減にしろ。それをやりたくてワザとOB狙ったのか。(続く15番、またピンの上からバックスピンでバーディ。次の16番は左のOBがあるほうへ乗せてパー。17番はまたまたいちばん奥のバンカーぎわへ、ギリギリでのせてパー。これで優勝はほぼ決定)

結局、終わってから考えるに、この試合前、「私はジャンボ尾崎がこの試合で初優勝したときは、
最終日の後半に至りながら、なおかつ危ないところの第1打はアイアンで打ったりして、ただ今2位でありまがら逆転のチャンスを待つセンスをもっていた」などという教えをしたため、中島はワザとその逆で、「攻めまくりのセンス」ときやがった。

画像: 大勢のギャラリーに囲まれたなかショットする中島

大勢のギャラリーに囲まれたなかショットする中島

そしてまあ彼は、今年は1年生として完璧なゴルフをして、挽回すべき汚名など一つもないのに、とにかく挽回してしまった。

いよいよ二人共オレの「弟子」によるO(尾崎)N(中島)時代の到来。

いや、私としては、そう言っておいた上で、まだまだ「N」のほうが未熟だから向こう3年間は「苦しい言い訳」を続けるつもりだと言っているのに、中島「弟子」は、私がみんなから「後藤さんの予言はあたらないなァ」なんて言われないうちに、勝手に挽回してしまった。

画像: ツアー初優勝を挙げた中島

ツアー初優勝を挙げた中島

1976年ゴルフダイジェストトーナメント
東名CC/6270メートル/パー72

1位 -9 中島常幸(美津濃)
2位 -7 新井規矩雄(パルコ)
3位 -6 村上隆(殖産住宅)
4位 -5 山本善隆(城陽)
     金本章鉠(美津濃) 
     呂良煥(片山津)
7位 -4 石井裕士(日本ライン)
8位 -2 杉原輝雄(ファーイースト)
     小林富士夫(関東工営)
     宮本康弘(パリス)

(週刊ゴルフダイジェスト1976年11月10日号)

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