1903年、神戸ゴルフ倶楽部が誕生し、1906年、横浜に住む英国人によってニッポン・レースクラブ・ゴルフィング・アソシエーションが根岸に誕生した。1907年に両クラブの対抗戦が始まり、これが今も続く「日本アマチュアゴルフ選手権競技」の原型となる。

日本で初めてのプロ競技は、1926年7月に開かれた。これが、後の日本プロゴルフ選手権、通称日本プロである。

記念すべき第1回大会は茨木CC、舞子CC(現 垂水GC)、甲南CC、鳴尾GCの関西4倶楽部が主催、大阪毎日新聞社が後援という形で7月4日に茨木CCで開催された。

参加者は6人。茨木の宮本留吉、舞子の福井覚治、甲南の越道政吉の3人が接戦を繰り広げ、36ホール通算161ストロークでホールアウト。プレーオフは6日後の7月10日に行われた。

しかし、越道が前半の18番でウォーターハザードの処置を誤っていたことが分かり失格。福井と宮本による36ホールのプレーオフは前半の18ホールで宮本が72の好スコアで福井に7打差をつける展開に。後半の18ホールは共に37、44の81で回り、宮本留吉が初代チャンピオンに輝いている。

1957年、霞ヶ関CCで開催されたカナダカップで、中村寅吉、小野光一が優勝すると、日本に大ゴルフブームが起こる。

1970年代に入ると、青木功、尾崎将司、中嶋常幸がプロ入り、「AON時代」の到来となる。

1973年に男子プロゴルフは「ツアー制度」を導入。1980年代は倉本昌弘、湯原信光、羽川豊の「三羽烏」が活躍し、「学士プロ」の時代がやってくる。

1990年代になると、北陸の怪童、川岸良兼がプロ入り。追うように伊澤利光、丸山茂樹、谷口徹、手嶋多一といったエリートジュニアが続々プロ入りし、ツアーを盛り上げていった。

ゴルフダイジェスト社は1961年の創刊以来、プロトーナメントを追いかけています。青木功、尾崎将司がプロ初優勝を飾った1971年関東オープン、日本プロの模様もライブ感たっぷりの記事でゴルフファンにお届けしてきました。

低迷していたジャンボ尾崎の復活優勝(1982年 関東プロ/富士小山GC)、日本人がどうしても勝てなかったダンロップフェニックスのジンクスを破った中嶋常幸(1985年/フェニックスCC)、その中嶋の日本オープン3連覇を阻んだ青木功(1987年/有馬ロイヤルGC)、阻まれた中嶋が今度はジャンボ尾崎の日本オープン3連覇を阻んだ1991年の日本オープン(小樽CC)。

まさに死闘ともといえる日本プロゴルフ史に刻まれた激闘の数々を、当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】で今一度、お楽しみください。

伝説の名勝負。ヒーローの足跡【東日本編】

●小樽カントリー倶楽部(北海道)/ジャンボ尾崎の3連覇を阻止した中島「渾身」の完全復活(1991年 日本オープン)

●プレステージカントリークラブ(栃木)/ジャンボが最終日61のコース新、大逆転で通算70勝目。(1991年日本プロ)

●横浜カントリークラブ(神奈川県)/コーライグリーンを手玉に金子柱憲が初優勝(1991年 関東オープン)

●東ノ宮カントリークラブ(栃木)/豪打の川岸良兼が難コースをねじ伏せる(1990年 関東オープン)

●東名カントリークラブ(静岡)/ジャンボ尾崎がバーディラッシュで大逆転(1988年 ポラロイド杯ゴルフダイジェスト)

●太平洋クラブ御殿場コース(静岡)/これがセベのゴルフだ(1988年 VISA太平洋クラブ・マスターズ)

●水戸・ゴルフクラブ(茨城)/ジャンボ尾崎VS高橋勝成、37ホールの激闘(1987年 日本マッチプレー)

●東松山カントリークラブ(埼玉)/倉本昌弘「24アンダー」の日本新記録を達成。(1987年 マルマンオープン)

●下秋間カントリークラブ(群馬県)/尾崎直道と湯原信光の一騎打ち(1987年 関東プロ)

●岐阜関カントリー倶楽部(岐阜)/プロの常識を捨てて芹澤信雄ツアー初優勝(1987年 日経カップ中村寅吉メモリアル)

●セントラルゴルフクラブ(茨城)/今季3度目のAO対決はまた青木功の勝ち(1986年 関東オープン)

●川越カントリークラブ(埼玉県)/酷暑のサバイバルゲームに生き残ったのは尾崎直道(1985年日経カップ中村寅吉メモリアル)

●宍戸ヒルズカントリークラブ(茨城)/中嶋常幸、敵はコースか、それとも人か(1984年 関東オープン)

●袖ヶ浦カンツリークラブ(千葉)/5番ウッドで優勝を決めた倉本昌弘(1984年 ブリヂストントーナメント)

●ミナミ菊川カントリークラブ(静岡県)/全英のセベに中嶋常幸は魅せられ、燃えた(1984年 日本プロ)

●伊香保国際カンツリークラブ(群馬県)/青木功VS尾崎直道「まだ若者に王座は譲れない」(1983年関東プロ)

●紫雲ゴルフ倶楽部(新潟県)/青木功に競り勝ち。中嶋常幸、日本タイトル3連勝(1983年日本プロ)

あさひヶ丘カントリークラブ(栃木)/中嶋常幸が36ホールの日本新記録(1982年 日本プロ東西対抗)

●戸塚カントリー倶楽部(神奈川)/青木功のパットの幻影におびえた羽川豊。(1982年 日本マッチプレー)

●富士小山ゴルフクラブ(静岡)/ジャンボ尾崎1年9カ月ぶりの復活優勝(1982年 関東オープン)

●烏山城カントリークラブ栃木)/青木功が湯原に送ったアドバイス「勝ち方を身につけろ」(1981年 関東オープン)

●岡部チサンカントリークラブ(埼玉県)/全米オープン並みの難コースを制し、青木が今季V4(1980年関東オープン)

●東筑波カントリークラブ(茨城県)。青木功は変わった。「忍耐」そして「挑戦」へ(1979年 関東プロ)

●横浜カントリークラブ(神奈川県)/青木功独白!3日目5番でオレは死んだ(1978年日本オープン)

●習志野カントリークラブ(千葉)/彗星の如く現れたスペインの星セベ・バレステロス。1977年日本オープン

●朝霧ジャンボリーゴルフクラブ(静岡県)/ジャンボが優勝を決めた「黄金のパット」(1977年関東オープン)

●嵐山カントリークラブ(埼玉県)/ジャンボが72ホール目に放ったとどめのスーパーショット(1976年関東オープン)

●東名カントリークラブ(静岡)/中嶋常幸4日間ツアー競技初優勝。(1976年 ゴルフダイジェストトーナメント)

●姉ケ崎カントリー倶楽部(千葉)/「シャンメェ」の青木功が我慢のゴルフで大会2連覇。1975年関東オープン

●筑波カントリークラブ(茨城県)。どうにも止まらぬ21アンダーで青木功圧勝(1974年 関東プロ選手権)

伝説の名勝負。ヒーローの足跡【西日本編】

●天野山カントリークラブ(大阪)/メジャーに咲いた大輪、加瀬秀樹ツアー初優勝(1990年 日本プロ)

●有馬ロイヤルゴルフクラブ(兵庫)/プレーオフを待つ中嶋と芹澤。青木功が冷静な寄せワンで1打差優勝(1987年 日本オープン)

●茨木カンツリークラブ(大阪)/中部銀次郎、最後の日本アマ?(1984年 日本アマ)

●門司ゴルフ倶楽部(福岡)/中部銀次郎がプロを破った「前編」(1967年 西日本オープン)

●唐津ゴルフ倶楽部(佐賀)/中部銀次郎がプロを破った「後編」(1967年 西日本オープン)

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

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画像: golfdigest-play.jp
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