1999年の日本オープンは2度目の北の地へ渡った。小樽カントリー倶楽部は強風下で伝統の大会を迎えた。北の海から強風が容赦なく吹きつけ、風雪に耐え続けたタフなコースの大木がたまらず数十本倒れた。

名勝負の舞台は、1グリーンになる前の「小樽カントリー倶楽部」
初日4アンダーで飛び出した尾崎直道のスコアは群を抜いていた。2位がイーブンパー。その尾崎でさえ、2日目のスコアは76でトータルはイーブンパー、それでも2位に3打差。さらに3日目も76と崩れ、トータル4オーバーまで落としながらまだ首位。

各選手がスコアを崩すなか我慢のゴルフを続けた尾崎直道
そして最終日78と苦しみ通算10オーバーまで落ちたが、ホールアウト時にはにっこりと手を上げた。2位に2打差の快勝だった。

風に折られた木。最終日には台風並みの風が吹き荒れた
尾崎直道は最終日、アウトだけで6ボギーのバーディなし。湯原信光に4打差を許し悲願の日本オープン初Vは去ったかと思われたが、後半は12番から5連続パーの我慢のゴルフ。
当面のライバル湯原が崩れた。尾崎は「作戦勝ち」とほくそえんだ。

一時は尾崎直道に4打差をつけリードを奪った湯原信光だったが
小樽はベントの洋芝がびっしり、グリーンは米ツアーと同じ高速グリーン。大会のコンセプトは全米オープンを目指し、グリーン周りを短くカットしてこぼれたボールをあくまで遠くへ転がし出した。
直道は米ツアーから帰国し、日本オープンに照準を合わせた。
「俺は米ツアーの選手。ベントに慣れ親しんだチャンピオンへの最短距離にいる。この感覚を大事にしよう」
本州の野芝、時々混じる高麗グリーンを避けると、北海道で2試合だけにしぼり大会に備えた。
日本のアメリカ・小樽を見抜き、攻略作戦が功を奏した。43歳、ベテランの味がじんわり。
日本オープン初制覇となり、日本プロ、日本シリーズ、日本マッチプレーと5人目のメジャー4冠に重みがあった。

尾崎直道はこの戦いを制し、国内メジャーグランドスラムを達成した
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