伊澤利光プロがプロテストに合格したのは1989年。しかし、日本ツアーで活躍するのは1994年のシーズンから。それまでの4年間、伊澤プロはアメリカに居た。アメリカでの4年間で米ツアー参戦にビビらなくなった、伊澤プロ。米ツアーで学んだこととは。「Vol.15」の続編です。

【通勤GD】通勤GDとは‟通勤ゴルフダイジェスト”の略。世のサラリーマンゴルファーをシングルに導くために、月曜日から金曜日(土曜日)までの夕方に配信する上達企画。ワンテーマを3回~6回のシリーズでお届け。帰りの電車内で、もしくは翌朝の通勤中、スコアアップのヒントを見つけてください。

伊澤利光プロ
1968年生まれ。プロも憧れる美しいスウィングの持ち主。2001年、03と2度賞金王に輝き、2001年マスターズで4位入賞。都内の大崎と碑文谷に「伊澤ゴルフアカデミー東京」を開校。
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GD 英語を覚えることに力を注がない決断というのは、ゴルフに全精力を傾けるという意味では、英断だと思います。ただ、結局そこから4年もアメリカ生活が続いたわけで、その間、「話さない」を貫くのも、結構大変だったのではないですか?

伊澤 アメリカ生活も最後のほうになると、ツアーで顔なじみになった連中に、「なんだ、トシはまだ英語しゃべれないのか」って、からかわれたりしましたけどね。「ああ、しゃべれないよ。それがどうした」って感じでしたね。ただ、自分では話せるようになりませんでしたけど、向こうが何を言っているかは、ほとんどわかるようになっていたんで、それほどストレスはなかったですね。

GD その経験がのちの米ツアーやメジャーに挑戦するときに役立ったのでしょうか。

伊澤 住んだことのある国に行くわけですし、言葉も一応、聞くことはできるということで、参戦することに不安とか、物おじはなかったですね。それは良かったと思います。

GD だから、スポット参戦でも、上位の成績を残せたと。

伊澤 そういう面もあると思います。そういえば、米ツアーの「ニッサンオープン」に出たとき(01年、2位タイに入賞)、3日目終了時点で上位につけていたので、PGAツアーの役員みたいな人が、私のキャディに「この試合で10位以内に入ると、来週の試合も出られるけど、トシはどうするか聞いてくれ」って言っているのが聞こえたんですね。で、キャディが私に伝えようとしたんですが、聞こえてたので「NOって言って」と即答したんです。そしたらキャディは「あ、わかってました?」って感じで驚いていて、そのPGAツアーの人は、「出られるのに出ないの?」ってそっちに驚いてましたね(笑)。

GD 何というか、そのおおらかな感じが、実は米ツアーに合っているような気もしてきました。ところで、ミニツアーを転戦しているときに、技術的に身についたものというと、どういったことでしょうか。

伊澤 その頃は、プロになりたてで、技術的には未熟だったので、コースとか芝とかに対応するので精一杯という面はありましたね。特に、アプローチは、当時はほとんどバリエーションがなくて、基本的にピッチエンドランで全部まかなうという感じでした。そうなると、寄ったかどうかがすべてで、それ以上、どうにかしようというところまではいかなかった。本当は、そこからシチュエーションに応じて、どう打ち方を変化させていくか、どういう練習をすればどういう結果になるか、考えることが大事なんですが…。その頃、それがわかっていれば、もっと違ってたんでしょうね。

【通勤GD・今日のポイント】キャリーを具体的にイメージする

イザワの法則/30ヤードは25メートルプール越え

画像: 【通勤GD】伊澤利光「イザワの法則」Vol.16 米ミニツアー時代はピッチ&ランだけだった ゴルフダイジェストWEB

キャリーさせる場所を具体的にイメージするほど、体が勝手にスウィングを調節してくれる。例えば「30ヤード」なら、「25メートルプール越え」と考えれば、自然とフォローが大きくなるはず。

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