鈴木愛は2度目の賞金女王となった2019年を「山あり谷ありのシーズンでした」と表現する。〝山〟は、7回の優勝や最後に賞金女王を獲れたこと。〝谷〟は、シーズンを通してケガが多く、モチベーション低下の危機があったことだ。
何度も〝デス・バレー〟に落ちては、這い上がり、最後に賞金女王という〝サミット〟に至った、鈴木愛の昨シーズンを振り返る。
2019年シーズン、獲得賞金額はもちろん、2年連続で平均パット数もトップを堅持したが、実は開幕
直後から、その得意のパッティングに重度の悩みを抱えていたのだという。これが最初の谷だった。
「開幕前にボールを替えたのですが、その新しいボールの感触が微妙に変わったことで、パッティングの距離感にズレが出たんです。1㍍オーバーの感覚で打っているのに、ギリギリカップに届くという感じで、それで距離感がわからなくなってしまい、人生で初めてパットが打てなくなってしまったんです」
さらに悪いことに、同時期に鈴木は体の故障やケガに悩むことになる。これが2つ目の谷だ。まず4月の初めに、左足首に痛みが出た。そして、これは不運としか言えないのだが4月の終わり、母と姉と一緒に乗っていたタクシーが接触事故を起こし、腰から背中にかけて痛めてしまう。
「事故直後の試合のフジサンケイのときには、ギックリ腰みたいな痛みで、クラブを軽く振って何とか最後までプレーできたけど、その後、痛みが背中からお尻まで広がって。お医者さんやトレーナーに相談したんですが良くならず、試合には痛み止めを飲んで出る状態だったんです」
体のトラブルによって沈む鈴木愛を、上昇軌道に乗せたのは「全米女子」「全英女子」の2つの海外
メジャーだった。全米女子は22位タイ。
上位に入れなかったが、それでも「勉強になった」と言う。「世界のトップの選手と回ることで
すごく勉強にもなったし、それがモチベーションにもなりました。久しぶりに良いゴルフができたし、たくさんの選手のプレーを見られたので、良いきっかけになったと思います」
その言葉通り、帰国直後のサントリーレディスとその翌週のニチレイレディスで2週連続優勝を果たす。
ピンから距離があっても
「曲がらないライン」を狙う
8月の全英女子は予選落ちだったが、その後の自分のプレーに大きなプラスになるアイデアを得て帰国したのだという。
「一緒に回ったコ・ジンヨンさんのプレーを見て、『なんだコレは、スッゴイじゃん!』って思ったんです。彼女はグリーンを狙うショットは、ピンから多少遠くても、とにかく次のパットが曲がらないラインに徹底してつけていました。それを見て『そうか。距離が長くなっても真っすぐなラインにつけて、それを入れる技術があれば、そっちのほうがいいんだ』と。そのマネジメントを意識してやった結果が、後半戦の優勝につながったのかなと思います」
世界ランク1位のコ・ジンヨンの強さを支えるマネジメントを真近で見て、予選落ちしながらも、ある種の充実感を得て帰国した鈴木愛がテレビ中継で目の当たりにしたのが、あの、渋野日向子の全英女子オープンでの優勝だった。
それは、42年ぶり、日本人2人目のメジャー優勝。しかも、笑顔を振りまきながら、最終ホールは〝壁ドン〟でパットをねじ込むというある種、スペシャルな勝ち方だった。
この快挙に対し、多くのプロが「すごい」「自分もうれしい」「あんな勝ち方はできない」という感嘆と賛辞のコメントを出すなか、違った言葉を口にしたプレーヤーが二人いた。
一人は畑岡奈紗。予選落ちした畑岡は「自分も同じ試合に出ていて成績が残せなかったので、悔しさはすごくありました」と言った。
もう一人が鈴木愛。「とにかく悔しかったです。自分はこれまでずっと練習をやってきたのに、海外の試合ではこれまでトップ10入りも1回くらいしかなくて。これだけやっているのに、なんで自分は思うようなプレーができないのかという、そういった意味での悔しさもあったと思います」
悔しいという感情は、一つ間違えれば「敗北感」や「嫉妬」というネガティブな思考に流れてしまうし、「悔しい」と公言すること自体が悔しいと思う者もいるだろう。
しかし二人は違った。悔しさをポジティブなモチベーションに見事に変えてみせた。
「日本人はメジャーでは勝てないと言われてきたなかで、日向子ちゃんが勝ってくれた。同じ世代でもあるし『自分もできる』という気持ちにさせてくれました」と畑岡が言えば、鈴木は「日本人もメジャーで勝てるんだということを何年ぶりかで証明してくれたので、ほかの日本人選手にもチャンスはあると思えた。そういう道を拓いてくれたのは彼女だったのかなと思います」と語った。
渋野の優勝から悔しさと、それを超えるモチベーションを得て、ツアーの後半戦に臨んだ鈴木だったが、またも谷が訪れる。9月の終わりから1ヵ月間、4試合も欠場。メディアで報じられた理由は左手親指のケガだが、実はそれだけではなかった。
「大事な時期だから休めないという気持ちはもちろんありました。でも、あの時期、正直ゴルフをやりたくないと思っていたんです。今までゴルフが嫌になったことなんてなかったので、どうしたらいいのか自分で決められなくなってしまって。それで、サポートをしていただいているスポンサー企業の社長さんなどに直接電話をして『私はどうしたらいいのでしょうか』と相談したんです」
相談を受けたスポンサー企業のトップは皆、一様に同じ解決策を提案してきたという。それは「まずゴルフから離れたほうが良い」ということ。そして、リフレッシュして気持ちも体も良くなったら戻ってくればいいというのだ。
鈴木が休めば、そのぶん自身の企業の宣伝効果も薄れるであろうに……。しかし、そう助言するほどの魅力をトップたちが鈴木に感じていたに違いない。
勝って「ごめんなさい」
ジョークで笑いをとった
それにしても鈴木愛は、なぜゴルフが嫌になったのか? それは、鈴木自身が発したこのコメントに現れているだろう。「渋野ちゃんじゃなくてゴメンなさい!」。9月1日にニトリレディスで優勝をした鈴木の優勝スピーチの冒頭。全英女子オープン後の〝しぶこフィーバー〟まっただなか。メディアは渋野の一挙手一投足を追い、凱旋Vの期待が高まる。
しかし勝ったのは鈴木で、飛ばしたジョークが「ごめんなさい」だった。冗談のような発言ではあったが、そこに鈴木の心の奥底が見え隠れしていた。
9月の終わりから1ヵ月、ツアーを休んだ鈴木は何をやっていたのだろうか。
「友達とショッピングに行ったり、食事したりできたので、それがすごく良いリフレッシュになったと思います。母親が実家に帰ったので、一人暮らしをしていたんですが、普通に主婦していました(笑)。ご飯を作って、掃除して。実は私、料理好きで、毎日、1合ずつご飯を炊いて、食事を作っていました。鶏ガラでだしをとった卵スープとご飯。あとはナスと山芋とエリンギを豚肉で巻いて焼
き肉のタレで味付けをして卵をかけて、それに海苔を乗せて食べるのが大好きだったので、それを自分で久しぶりに作って食べたのが一番嬉しかったです」
そういうなんでもない毎日を過ごし、ツアーに復帰してからの鈴木は、これほど変わるのかというくらい清々しい顔をしていた。復帰1戦目のマズターズGCは予選落ちだったが、その後、三菱電機、TOTO、伊藤園の3週連続優勝を果たすと、一時は1位のシン・ジエと3817万円もあった賞金差をひっくり返し、残り2試合を残してトップに立ったのだ。
しかし、これで山頂に登りつめたわけではなく、鈴木はもう一度、谷を味わうことになる。渋野との賞金女王争いは最終戦のリコーカップに持ち込まれたが、その2日目に、鈴木は73を叩き17位に後退。一方の渋野はトップに3打差の3位タイまで順位を上げてきた。この段階で優勝は難しくなった状況になったことで、鈴木から驚くべき言葉が出た。
「あとは誰か(渋野以外の)違う人に優勝してもらうしかない」
それにしても、気持ちの強さが身上の鈴木愛をして、どうしてこんな弱気な発言が飛び出したのだろう。「周りの会場の雰囲気とか、メディアの雰囲気とか全部、完全に流れが彼女に向いていましたから。彼女は1%の可能性を引き寄せてくる子だから、その流れを勢いにしてくるなと思ったんです。自分のゴルフがうまくいかないというのもあって、ああいう発言になったと思います」
しかし、これで完全に沈み込むことはなかった。最後に、鈴木らしい負けん気を見せて、この「山あり、谷あり」だったシーズンを賞金女王として最高の形で終えた。
「確かに流れと勢いは渋野さんにあったと思います。でも、これは私自身が経験してきたことなんですけれど、流れと勢いだけでは賞金女王にはなれない。そういうところをやっぱり見せなければいけないと思ったし、一度、女王を獲っている自分は、絶対、今年は負けてはいけないんだという気持ちで、残りの2日間を戦ったんです」
IOCのロゲ会長(当時)が、封筒から取り出した紙片をクルッと反転させて「TOKYO!」と甲高い
声で開催地を発表した、あの瞬間から6年半が経ち、いよいよ東京オリンピックが半年後に開催される。ゴルフ競技の女子代表選手が決定するのは6月30日。有力候補の一人である鈴木は、オフの恒例となったアメリカのアリゾナでの4週間の合宿に入り、オリンピックイヤーに備える。
鈴木愛の「山あり谷あり」のシーズンを共に戦った渋野とは、2020シーズン、今度はまずオリ
ンピックの代表をかけて戦うことになる。
文/古屋雅章(ゴルフライター) 雑誌記者、業界紙記者を経て、ゴルフ専門雑誌の編集記者となりゴルフの取材に携わる。現在はゴルフを中心に、ボクシングや格闘技などの取材も行うフリーのライター
写真/岡沢裕行、大澤進二
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