ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
大正15年5月、9ホール・2800㍎・ボギー36の大保コースが開場。雲仙に次ぐ九州2番目のコースだ。昭和9年10月18ホール・6520㍎・パー72に拡張、新しく加えたアウト9ホールは赤星六郎設計だった。
昭和15年日本プロ選手権開幕(優勝・戸田藤一郎)しかし戦雲急、昭和19年春に陸軍被服廠が接収、クラブも解散した。だが大保土地㈱の法人格は残し、後に古賀ゴルフ土地㈱として蘇る。
昭和20年敗戦。旧コースでの再建に失敗。昭和22年頃の一年間は、福岡市郊外二日市のショートコース6ホールに〝大保の残党〟が集って筑紫カンツリー倶楽部と称した。見かねて西鉄が、古賀町に所有する7万坪を提供、昭和23年5月、現在のインコースに当たる9ホールが仮オープンした。
クラブ名は福岡国際カンツリー倶楽部、芝もまばらのグリーンにブリキ缶を埋めただけ、〝赤土の土俵グリーン〟といわれた。
全体設計は上田治
大保の残党達の18ホール願望は止まらない。唐津GCの9ホールと古賀の9ホールを、1時間40分のバスでつないで18ホールという九州カントリー倶楽部を設立したが、長続きする筈もない。昭和32年9月10日、福岡国際カンツリー倶楽部を古賀ゴルフ・クラブに改称。18ホールが実現するのはそのすぐ後、12月26日、旧ホールをインコースとし全体設計を上田治が行い開場した。
古賀ゴルフ・クラブのコースは英国型である。白いクラブハウスは、ゴルフよりもマリンクラブのもの。白い水兵帽のまま年老いた老水兵を思わせる。人の身長の2倍に相当する深さの16番ホールのヘルバンカーは、クルーデンベイである。古賀ゴルフ・クラブに英国型コースを探しに行こう。
古賀ゴルフ・クラブ
開場日:大正15年5月9日(大保コース場)
昭和28年10月10日
コース:18H/6783Y/P72
設計:上田 治
福岡県古賀市鹿部1310-1
☎092-943-2261
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