熱海ゴルフ倶楽部は、昭和14年5月28日、9ホールで開場。戦時下に造られた最後のコースである。同年には12ホールに。作家・邦枝完二は『ゴルフ』誌に「12ホールのうちショートホールが6つある。バーディチャンスが待っている」と嬉しそうに書いている。

同誌には、「グリーンフィ300円、日祭日500円。ひと口百坪の豪華な庭園付きゴルフ村分譲」の開場記念広告も掲載。

別荘販売の利益でコースを造る試みだったとわかる。これは東京GCの主な人達が〝新軽〟(昭和6年開場の軽井沢GC)で成功した計画に倣ったらしいが、時代のためか熱海では成功せず、山は今も元のままだ。

画像: 1番ホール/148㍎/パー3  熱海の地形そのものの小さな宝石。クラブ選びが難しい

1番ホール/148㍎/パー3  熱海の地形そのものの小さな宝石。クラブ選びが難しい

熱海ゴルフ倶楽部は、東京GC朝霞コースの代替コースだったという説がある。発起人に大谷光明、赤星四郎など東京GCの主要人物の名が並ぶからだ。昭和16年12月太平洋戦争が始まる。翌昭和17
年、コースは横須賀陸戦隊の砲台基地として接収。

ゴルフも敵性スポーツ視されて次第に経営が困難となり、昭和19年にコースは岩崎精一郎ら3氏共有の㈱熱海ゴルフに譲渡された。

この譲渡を巡っても、岩崎精一郎は東京GC会員で三菱グループの岩崎小弥太の係累だという記事が出たことがある。ここでもなぜか東京GCだ。

画像: 9番ホール/168㍎/パー3 グリーンからは相模湾の絶景

9番ホール/168㍎/パー3 グリーンからは相模湾の絶景

“南の新軽”の佇まいは今でも残る

昭和20年8月終戦。12ホールのコースは、3ホールが藷畑に化けていた。昭和21年米国第8軍スペシャルサービスが接収、9ホールで復活。昭和27年5月講和条約発効で返還されるまで6年かかった。

その後三井グループの保養地となるが、平成15年7月、現経営の㈱熱海ゴルフに移った。戦中、戦後の激しい有為転変の中で、熱海ゴルフの正史は見えにくくなった。

想像されるのは、大谷らゴルフ界のエクスクルーシブな人たちが、そこに“南の新軽”を造ろうとしたらしいこと。その佇まいは、今でも残っている。

【熱海ゴルフ倶楽部】
開場日:昭和14年5月28日
コース:9H/2234Y/P33
設計:赤星四郎
静岡県熱海市伊豆山1171
☎0557-82-5335
公式ホームページはこちら

取材・文/田野辺薫

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