ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
場所は、「丸火(まるび)の原野」といわれる富士南麓の溶岩地帯に生えた原生林。北麓の青木ヶ原が有名だが、丸火の原野も、富士噴火により流れ出た溶岩地帯にコナラなど雑木の原生林が繁茂、それが開発には癌のような存在だった。
富士市は、市民の憩いの場として丸火公園を計画、中心が大富士ゴルフ場だったが、隣接地には観覧車とロープウェイを持つ遊園地が造られた。
砂地の原野に芝を張って初成功したコース
工事は完全な人力で、溶岩を砕いたり抜き取ったり、岩の間の木を伐ったり、土を運び野芝を集めて張った。芝が足りないと、山の野草を採取して張ったと、会報『大富士』(50周年記念号)に記録している。
昭和29年8月1日6ホールで開場。翌30年3ホール増設して9ホールに。設計は当時、芝博士と言われ、人気を集めていた農学者の丸毛信勝。砂地に芝を張って初めて成功したゴルフ場となった。
「ブルドーザーを使わなかった貴重なコース」と自負しているだけに、自然そのままのアンジュレーションが売りもので、平坦なライはひとつもなく、「いつも片足を上げた犬の用足しスタイルで打たされる」という声もあった。
入会金は3万から6万円と極安、ゴルファーが来たら畑へキャディを呼びに行くというのどかなゴルフ風習から始まった。キャディは2バッグが普通、ときには4バッグ(但しハーフセット)もあった。1日に2ラウンドが常識、4日間に午前、午後の8ラウンドという人もいた。
川奈ホテル専属プロを呼び、すべてを川奈流に倣った。大島コースのように、各ホールに馬の背、曽我兄弟、ナイアガラなどのニックネームをつけた。昭和35年18ホール・6010㍎・パー71に拡大。
18ホールになっても、“自然に最も近くあるコース”だった。富士と一望する駿河湾は、大富士という呼称にふさわしい魅力だ。
大富士ゴルフ場
静岡県富士市今宮1234
☎0545‐21‐4111
開場日:昭和29年8月1日
コース:18H/6352Y/P72
設計:丸毛信勝
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
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