ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
「しかし岐阜にも……」と腰を上げ、辿り着いたのが岐阜県郊外の各務原市蘇原町権現山の山麓だった。戦前の各務原は、陸軍の小軍事都市だった。飛行場、飛行学校など軍施設が集まっていた。
探り当てた山麓の一画も、旧陸軍歩兵第68連隊飛島実弾射撃場跡だった。昭和33年3月1日、土地買収。6月には早くも個人正会員20万円、法人(2名)50万円の会員募集を始めた。募集のキャッチコピーはかなりユニークで「昼はゴルフ、夜は鵜飼い」だったというから愉快。
300名予定に911名もの申込みがあり、その殆どが岐阜県人だった。7月21日「岐阜カンツリー倶楽部」設立登記。岐阜県一の名門を目指して、設計は関西の第一人者、上田治に依頼した。
昭和33年11月12日起工式。工事は順調に進んだが、完成間近の昭和34年9月26日、中部地方を襲った伊勢湾台風の猛威で芝は泥水に流され、バンカーは土砂に埋まった。法面は崩壊、大木は倒れ、手のつけようがなかった。
そのなかで、周辺の美田への土砂流失がほとんどなかったのは、上田治が1、9、17、18番など美田と隣接するホールを、権現山からの流失水に対して横断方向にレイアウトしていたからだったという。
昭和35年4月17日本開場。上田設計にはもうひとつエピソードがある。昭和42年9月20日。ゴルフ宮様といわれた旧皇族・朝香宮が来場、プレーした後「7番グリーン前のバンカーは隠しバンカーというやつだ、直ぐに改造し給え」ときついアピールを残して帰京。
しかし、上田は改造しなかった。その隠しバンカーは今も健在。岐阜県には、愛岐CC、岐阜関CCなど一流のコースがある。しかし、誰もが認める「純血岐阜の名門」は岐阜CCである。
岐阜カンツリー倶楽部
岐阜県各務原市蘇原北山町2-8☎058-382-1121
開場日:昭和35年4月17日
コース:18H/6806Y/P72
設計:上田治
改修:佐藤忠志
公式ホームページ
取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
気になるコースの最新会員権相場はこちら↓