ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
坂道を歩きながら「この辺りにゴルフ場があったら楽だね。造れないかね」「無理だろう」と問答があった。
岐阜関CC会報誌「GSCC」の開場40周年記念号に、木股健二(元競技委員長)が紹介したひとこまだ。
積極行動派の石丸千年は、すぐに地下足袋姿になって山林を歩き廻り、地主と会った。岐阜CC所属の井上清次プロも加わり、後藤数次(元常務理事)も同行した。
3人は合議した。理事長には知名度の高い人物がふさわしいと「岐阜日々新聞」「岐阜放送」の山田丈夫を迎えた。
昭和38年8月30日、「岐阜関開発株式会社」設立、社長は山田丈夫。9月16日、岐阜県関市で「関カントリークラブ」創立総会、準備は整った。
名刀、関の孫六に代表される関伝七流の刀鍛冶で古くから有名な土地。現在でも、英国の「シェフィールド」、ドイツの「ゾリンゲン」と並び刃物の「関」は海外でも知られている。
昭和38年10月15日着工。昭和39年11月29日、関カントリークラブ、18ホール・7180ヤード(現在6991㍎)・パー72で仮開場。
昭和43年11月9日9ホールを増設。このとき「岐阜関カントリークラブ」と改称。
山田理事長は、更に9ホールを増設、36ホールを主張。反対派に対しては「20年先を考えたら、メンバーの多くにはチャンピオンコースは無理、楽しく回れる18ホールも必要」と説得、昭和46年11月5日9ホールが完成、36ホールとなった。
新しい西コースは、東コース(74.9)には及ばないが、それでもコースレート73.2。
全国的にも屈指の難易度だった東コースでは、昭和48年に日本プロ選手権を開催(優勝は青木功)。
平成29年(2017年)には日本オープンを開催(優勝は池田勇太)、それに合わせて東コースを一部改修、現在に至る。
岐阜関カントリー倶楽部
岐阜県関市山田芳洞1691-1 ☎0575-22-2424
開場日:昭和39年1月29 日
コース:18H/6958Y/P72(西)
18H/7256Y/P72(東)
監修:上田治
公式ホームページ
取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
気になるコースの最新会員権相場はこちら↓