昭和4年5月、広島県最初の「広島ゴルフ倶楽部」は、加茂郡原村八本松に、天野進作、中村尋設計12ホール、4208ヤード、パー48の短いコースを開場した。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

どうしても八本松を再興したい!

原村コースあるいは八本松リンクスといわれた。翌5年8月増設して18ホール。昭和17年暁部隊の演習場として陸軍が接収、閉鎖。

そして終戦。コースは広島大学水畜産学部の演習林(加茂農場)となっていて、八本松リンクスの再興はならず、戦後再発足の広島ゴルフ倶楽部は、昭和27年11月広島市西郊外鈴ヶ峰に6ホール・1395ヤードのショートコースとして、形ばかりの復活を果たす。

画像: 広島カンツリー倶楽部 八本松コース 12番ホール/522㍎/パー5 距離のある右ドッグレッグのホール。右ラフにあるバンカーの左が狙い目。飛ばし屋は左ラフのバンカーに注意

広島カンツリー倶楽部 八本松コース 12番ホール/522㍎/パー5 距離のある右ドッグレッグのホール。右ラフにあるバンカーの左が狙い目。飛ばし屋は左ラフのバンカーに注意

29年4月9ホール。『鈴ヶ峰50年史』は思い通りの復活ができなかった理由として、「会員の大多数が戦災死し…」と書く。戦災死とは原爆被災死であった。

「どうしても八本松再興を」と情熱をたぎらせるグループは、昭和30年「広島カンツリー倶楽部」を設立して復活を試みるが実現できず、東隣の西条盆地に丸毛信勝設計の18ホール西条コースを開場するにとどまる。

しかし、10年経てば復興事情も変わる。広島大学の加茂農場が移転した。その跡地に昭和38年11月17日、「広島カンツリー倶楽部八本松コース」が、上田治設計の18ホールで復活した。

戦前の旧コースの遺跡は、現八本松コース5番ホールの横に、旧広島GC15番ホール跡として碑文とともに遺っている。

画像: 5番ホール/223㍎/パー3 美しい樹林にセパレートされている。長い間、広島オープンなどの舞台となった。ゴルファーの知名度は高い

5番ホール/223㍎/パー3 美しい樹林にセパレートされている。長い間、広島オープンなどの舞台となった。ゴルファーの知名度は高い

上田治は、旧コース時代から残る樹齢数百年の高い赤松を主体に、OBは作らない、ローカルルールめいた設計は避ける、変則スウィングをさせるようなアップダウンはなしという、上田設計の三原則を遵守した。

結果、風趣あふれる名コースが出来上がった。その後、上田設計の教科書のように見られてきた。

画像: 6番ホール/453㍎/パー4 グリーン中央に軽いマウンドがあり、グリーン幅が狭いので右のバンカーを避けて左面に乗せるのが正攻法

6番ホール/453㍎/パー4 グリーン中央に軽いマウンドがあり、グリーン幅が狭いので右のバンカーを避けて左面に乗せるのが正攻法

画像: 1番ホール/353㍎/パー4 左3分の1は奥行きが狭いので、オーバーに注意

1番ホール/353㍎/パー4 左3分の1は奥行きが狭いので、オーバーに注意

画像: 13番ホール/441㍎/パー4 樹齢数百年の赤松の独立樹を活かしたレイアウト、松のやや右狙いがベストルート

13番ホール/441㍎/パー4 樹齢数百年の赤松の独立樹を活かしたレイアウト、松のやや右狙いがベストルート

そのコースも、平成16年の日本女子オープンを前にベントの1グリーンに改造、ヤーデージも7010ヤードに延長された。「より伸びやかに、より難しくなった」という評価だそうだ。

画像: 現在のクラブハウス

現在のクラブハウス

広島カンツリー倶楽部 八本松コース
広島県東広島市八本松町原11083-1 ☎082-429-0511
開場日:昭和38年11月17日
コース:18H/7035Y/P72
設計:上田 治
公式ホームページ

画像: 八本松ゴルフリンクス時代の12ホールスコアカード

八本松ゴルフリンクス時代の12ホールスコアカード

取材・文/田野辺薫

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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