ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
樽前高原の100万坪を買い上げ、ゴルフ場を造ろうと計画
昭和36〜37年好景気が始まると、苫小牧港建設、工業団地化の動きが起こる。その活況の先を読んで、樽前高原に100万坪を買収し、ゴルフ場、別荘、レクレーション施設を計画する川崎興産という会社があった。
川崎興産は、京都南郊に宇治CCを着工している最中だった。
ところで北海道の樽前山は、明治42年の噴火によって、外輪山の中に高さ105㍍の新火口丘ができるという滅多にない三重式活火山である。
標高1041㍍の樽前山に比べて、ゴルフ場のある南麓台地は標高70㍍の低さに広がる樽前高原は、北海道の他の地区に比べ積雪が少ない。しかし、寒気は他よりも厳しいといわれる。
施工の安達建設によると、春3月着工するとまず1㍍余の凍土を剥いで地肌を出す、それから重機を入れた。剥いだ凍土の氷板は積み上げてマウンドを造ったという。ところが暖かくなり溶け出して形が崩れ、滑稽な姿になってしまったと「安達建設100年史」で苦笑している。
着工は、昭和37年3月、広いがなだらかな地形に助けられて工事は順調、6カ月半で終わり、9月には仮開場、翌38年7月7日本開場。
「樽前カントリークラブ」は上田治設計の18ホール・7273㍎・パー72(コースレート74・5)。当時としては抜群の長大コースだった。
上田は、北海道らしいスケール感を出そうとしたのだ。35万坪という常識に倍する広さの中に、90 ㍎のフェアウェイ、OBをまったく気にしないで済む、大らかな18ホールを造り上げた。クラブハウスも広い草原に似合う牧舎風にした。
背後には1041㍍の樽前山、視線をめぐらせば太平洋の紺青の水平線、借景も大きく利用した。昭和55年5月5日には北コース、9ホール・3577㍎・パー36を追加した
樽前カントリークラブ
北海道苫小牧市錦岡491
☎0144-67-0131
開場日:昭和38年7月
コース:27H/10258Y/P108
設計:上田治(南 中) 鹿島建設(北)
美しい日本のコースより
取材・文/田野辺薫
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