ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
原風景は、見渡す限りの小松と雑木林ジャングル
昭和33年伊奈村に「格好の土地を発見、医者だけのゴルフ倶楽部を造りたい」と駆け込んできた医学博士がいた。それが始まりだったと、経営の中心となる山田光成(日本信販社長)は書く。
現地へ行くと「ただ見渡す限りの小松と雑木のジャングル、蝮(マムシ)が棲むという蛇の松」もあったとあきれている。設計の佐藤昌は当時、東京農大教授で日本庭園学会長、造園の大家であるが、当時の会報『筑波』は新人のコース設計家と紹介。
確かに筑波CCは設計第1号には違いないが。現場を見てたじろいだ佐藤がそれでも引き受けたのは「ゴルフ場造りは芝と土を動かす仕事、あきらかに造園家の仕事で、元プロゴルファーだけのものではない」との信条から。
当時は珍しい長大コース
佐藤は設計料を貰っていない。昭和33年5月30日㈱筑波ゴルフコース創立。全株主が正会員、入会金
30万円、年会費無料でスタート、社長は大和証券の加藤和根。
昭和34年9月18日本開場。「アクセスがよくないので、コースは随一のチャンピオンコースを」という主張で、当時としては珍しい18ホール・7110㍎・パー72の長く大きなコースだった。
域内の大木をハザード代わりに残すため、土量移動を抑え、各ホールの個性はグリーン回りのバンカーの数、造型で差をつけた。
特にパー3では苦心したという。13番パー3はボビー・ジョーンズが13打を叩いたセントアンドリュース11番グリーン(7番と共用の愛称「ハイ・ホール」)の形と深さを真似たと告白している。
各ホールのグリーン背後に桜、白樺、メタセコイヤ、ドッグウッドなどの花木を植え、景色を違えたのは造園家・佐藤昌の真骨頂である。
筑波カントリークラブ
茨城県つくばみらい市高岡830-2
☎0297-58-1515
開場日:昭和34年9月18日
コース:18H/7010Y/P72(ベント2グリーン)
設計:佐藤 昌(平成18年:川田太三改造)
公式ホームページ
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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