現在は、茨城県つくばみらい市高岡。三郷ICから常磐道で25分、日本橋から40分。電車ならつくばエクスプレスで秋葉原から30分だ。昔は筑波郡伊奈村字高岡。東京から車でたっぷり4時間「時には黒塗りのダッジをトラックで後押しして貰うこともあった」という。“茨城のチベット”であった。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

原風景は、見渡す限りの小松と雑木林ジャングル

昭和33年伊奈村に「格好の土地を発見、医者だけのゴルフ倶楽部を造りたい」と駆け込んできた医学博士がいた。それが始まりだったと、経営の中心となる山田光成(日本信販社長)は書く。

現地へ行くと「ただ見渡す限りの小松と雑木のジャングル、蝮(マムシ)が棲むという蛇の松」もあったとあきれている。設計の佐藤昌は当時、東京農大教授で日本庭園学会長、造園の大家であるが、当時の会報『筑波』は新人のコース設計家と紹介。

確かに筑波CCは設計第1号には違いないが。現場を見てたじろいだ佐藤がそれでも引き受けたのは「ゴルフ場造りは芝と土を動かす仕事、あきらかに造園家の仕事で、元プロゴルファーだけのものではない」との信条から。

当時は珍しい長大コース

佐藤は設計料を貰っていない。昭和33年5月30日㈱筑波ゴルフコース創立。全株主が正会員、入会金
30万円、年会費無料でスタート、社長は大和証券の加藤和根。

昭和34年9月18日本開場。「アクセスがよくないので、コースは随一のチャンピオンコースを」という主張で、当時としては珍しい18ホール・7110㍎・パー72の長く大きなコースだった。

画像: 5番ホール/365㍎/パー4 距離が短く比較的攻めやすいが、1打目は池越え

5番ホール/365㍎/パー4 距離が短く比較的攻めやすいが、1打目は池越え

画像: 6番ホール/216㍎/パー3 花道狙いでど真ん中から攻めたい(みらいグリーン)

6番ホール/216㍎/パー3 花道狙いでど真ん中から攻めたい(みらいグリーン)

域内の大木をハザード代わりに残すため、土量移動を抑え、各ホールの個性はグリーン回りのバンカーの数、造型で差をつけた。

画像: 8番ホール/375㍎/パー4 フェアウェイの両サイドは3つのバンカーでガードされていて、ティショットに正確性が求められる

8番ホール/375㍎/パー4 フェアウェイの両サイドは3つのバンカーでガードされていて、ティショットに正確性が求められる

画像: 10番ホール/563㍎/パー5 グリーン奥まで右OBラインが続くホール。左サイドから攻めるのがベストルート

10番ホール/563㍎/パー5 グリーン奥まで右OBラインが続くホール。左サイドから攻めるのがベストルート

特にパー3では苦心したという。13番パー3はボビー・ジョーンズが13打を叩いたセントアンドリュース11番グリーン(7番と共用の愛称「ハイ・ホール」)の形と深さを真似たと告白している。

画像: 17番ホール/412㍎/パー4 OBもバンカーもないホール。豪快なティショットが打てる

17番ホール/412㍎/パー4 OBもバンカーもないホール。豪快なティショットが打てる

各ホールのグリーン背後に桜、白樺、メタセコイヤ、ドッグウッドなどの花木を植え、景色を違えたのは造園家・佐藤昌の真骨頂である。

筑波カントリークラブ
茨城県つくばみらい市高岡830-2
☎0297-58-1515
開場日:昭和34年9月18日
コース:18H/7010Y/P72(ベント2グリーン)
設計:佐藤 昌(平成18年:川田太三改造)
公式ホームページ

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

取材・文/田野辺薫

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