ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
終戦後、GHQ陸揚げ作業、朝鮮動乱
明治37年、石川県石川郡郷村農家の三男に生まれた北村正則。海に憧れ富山商船学校を卒業、大阪商船に入って、10年間外国航路に乗る。
そののち三菱倉庫に移り、上海三菱倉庫所長に就任。終戦。昭和21年7月横浜に、東西汽船設立(資本金20万円)、GHQの陸揚げ作業を請け負った。
昭和25年の朝鮮動乱では、仁川港の米軍逆上陸作戦で、200隻の機帆船を率いて揚塔作業を展開、仕事は3カ月続き、巨利を得た。
伊東市への機縁、元総理の別荘を改装して料亭経営
伊東市との機縁は、同じ頃ゴルフ仲間の勧めで元総理・若槻礼次郎の別荘を購入、改装して料亭「登代村」を経営したことに始まる。
別荘は数年後、若槻記念館として島根県に譲渡する。そこへ伊東市から小室山吉田地区の開拓の要請が飛び込む。約32万坪。
富士山と太平洋を遠望する景観は随一、しかし岩石多く、雑木林とマムシの痩せた土地だったが「連邦経営でやるレジャー施設を造ろう」と決断、まずゴルフ場である。
温泉の出るゴルフ場
工務店が17億円と見積もった工事を、5億円でやる覚悟でスタート。3台のブルドーザーのうち1台は自分で運転した。いつも船長はひとり、陣頭指揮だ。これを機帆船経営と彼は言った。いつも「海」である。
昭和36年10月7日、サザンクロスCCが本開場。18ホール、コース設計・陳清水。翌年9ホール追加(昭和61年18ホールに再調整)。
昭和37年、海運界の集約が始まり、海運界から引退する。昭和47年、関東シニア選手権優勝、JGAハンディ6。以後数え切れないほどのエージシュートを達成した。
サザンクロスは温泉の出るゴルフ場として有名。計4カ所から温泉が湧出、御やど「龍石」、ホテル、室内温水プール、そしてゴルフ場が、それぞれに支え合って「サザンクロス連邦」を設立したのは昭和51年7月4日だった。
サザンクロスカントリークラブ
静岡県伊東市吉田1006 ☎0557-45-1234
開場日:昭和36年10月7日
コース:18H/6312Y/P72
設計:陳 清水
公式ホームページ
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