ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
麻生グループは、明治5年に創業者・麻生太吉が目尾(しゃかのお)御用炭山を採掘したことから始まっている。
北九州工業地帯の発展とともに「社会資本の産業基礎づくり」を社是として、明治、大正、昭和初期にわたって、貝島、安川と並ぶ筑豊炭鉱ビック3として石炭のほか、銀行、電力、鉄道、病院、港湾など61社を立てて事業展開していった。
石炭産業の終焉、
廃坑跡地をどう復興させるか
昭和30年代の筑豊地方は、石炭産業の終焉で、暗澹たる雰囲気から抜け切れないでいた。
麻生グループ自体は、石炭からコンクリート、セメント産業への転換に成功していたが、廃坑跡地の復興は悩ましい課題で残されていた。
麻生グループの2代目、麻生太賀吉は、本拠だった吉隅炭坑の再生を試みた。工業団地への転用は、陥没の恐れなどがあり危険。当時は、臨海工業地帯が流行で、内陸への進出を試みる企業は見当たらなかった。その間に跡地のボタ山には、野草が生え放題となっていた。
麻生グループ2代目の長男
麻生太郎の一言でゴルフ場開発がスタート
頭を悩ます太賀吉に、長男で、後に2代目理事長となる麻生太郎が「ゴルフ場にしたら綺麗になるんじゃないの、鉱害もあまり関係ないし」とまったくの思いつきで放った一言が、このコースのスタートになった。
開場20周年、9ホール増設の記念パンフレットに自身が書いている。
昭和48年10月、18ホール・6697㍎・パー72で開場させた。平成7年5月、9ホール・3548㍎・パー36を増設オープン。18ホールでも可能な18万坪に9ホールを展開という贅沢なコースレイアウトだった。
コース設計は、いずれも藤井義将プロ
藤井義将は、昭和46年、日本オープンにも優勝した地元の名手。彼は、麻生飯塚GCの設計について「雑草が生い茂り、ほこりが舞っていたボタ山を如何に美しく変身させるか、ストレートなコースにまとめ上げるか、心を砕いた」と語った。
麻生飯塚ゴルフ倶楽部
福岡県嘉穂郡桂川町大字吉隈120
☎0948-65-1155
開場日:昭和48年10月30日
コース:9H/3373Y/P36(ブルー)
9H/3548Y/P36(ホワイト)
9H/3324Y/P36(グリーン)
設計:藤井義将
理事長:麻生太郎
公式ホームページ
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