中部銀次郎の生家は、関門海峡を見渡すことのできる明池山の頂の近くにあった。庭に立つと、晴れた日には向こう岸に広がる門司の様子まで察することができたとい う。その明池山の生家から坂道を降りて700メートルほど歩くと、海峡を渡る船、唐戸の渡船場に着く。

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

「わあー、懐かしいな。ホント。随分変わっちゃったなあ」。東京に居を構えて15年、古郷に帰って、のんびりと地に足を踏みつけながら歩くことなど滅多にない。生家のたたずまいも少し変わった。門の前でよくキャッチボールをした道も今は、やたら狭いスペースに感じる。

画像: 中部銀次郎(1942~2001)

中部銀次郎(1942~2001)

生家から海峡を渡れば「門司ゴルフ倶楽部」

「家から学校までが5分。裏門から入るには、108段の階段をかけ登らなきゃいけなかったんですよ。中学校がその反対側。そうそう、角の酒屋さんに美人のお姉さんがいてね……」

生家に立ち寄ったのが10年ぶりという。そして海峡を渡って彼のゴルフのルーツである門司ゴルフ倶楽部へ行ったのが18年ぶりであった。1967年、第9回西日本オープンの開場となって参加したとき以来である。

画像: 1967年、中部銀次郎のスウィング

1967年、中部銀次郎のスウィング

第9回西日本オープン最終結果(1967年5月/門司ゴルフ倶楽部)
1位 -6 中部銀次郎@(下関)
2位 ± 0  平野勝之(熊本)
3位 +2 中野房生(門司)柳田勝司(小倉)西宮辰幸(小倉)
6位 +5 上田鉄広(門司)藤井義将(玄海)
8位 +6 多田秀之(玄海)
9位 +7 細石憲二(下関)
(@アマチュア)

この大会でアマチュアの中部が、プロに混じったオープン競技で優勝という歴史的快挙を達成したのである。アマチュア選手が、それまでオープン競技に優勝した記録は、1927年、第1回日本オープンで赤星六郎だけだった。それから40年ぶりの快挙。けれど赤星の時代は、まだプロゴルファーの人数も少なく成熟していなかった。だからこそ、中部の優勝は歴史的な快挙となったのである。

試合を振り返ってみると、予選2ラウンドを終えて、中部は68・74の2アンダー。首位は上田鉄広(門司)。中部は藤井義将(玄海)と並んで2位タイで折り返した。当時は午前、午後と1日36ホールだった。そして第3ラウンド目で中部は、再び68で通算6アンダーに。ゲームの流れはこの第3ラウンドだった。12番ホールで上田に追いついた。そして14番ホールでバーディをもぎとり、逆に上田がボギーで逆転。第4ラウンドでもパープレーでまわり、結果的に2位と6打差の見事な優勝だった。

中部のゴルフ人生には4つの故郷がある、と言われている。最初が門司ゴルフ倶楽部だ。そして中学2年を過ぎて下関ゴルフ倶楽部に移り、甲南大学時代は、廣野ゴルフ倶楽部の練習場で球を打った。そして東京ゴルフ倶楽部に移ったのである。下関で生まれ育った中部にとって、九州には格別の思いがあった。

画像: 門司ゴルフ倶楽部のクラブハウス

門司ゴルフ倶楽部のクラブハウス

中部銀次郎がゴルフの考え方を教わった場所

「やっぱり門司は、僕にとってはいちばん印象的ですね。今のようにスコアが良ければいい、というゴルフではなく、なにか基本的なゴルフの考え方、精神というのを教わった気がします。服装やマナーもですが、外面的なことは、中身から出てくるわけでしょう。枝葉ではなく根っこみたいなものを教わりましたよ」

中部がゴルフを始めたのは、小学校低学年時代の虚弱体質がきっかけだ。何度か医者に相談したが、解決策は見当たらない。「少し歩かせてみたら……」。原始的な診断は、最後の結論だった。ゴルフ好きでシングルプレーヤーの父親はコースへ連れて行った彼にクラブ1本持たせて18ホールを歩かせたのである。遊びながらボールを打っていくうちに、少年は「こんなに面白い遊びがあるのか」と、ゴルフにとり憑かれたのだという。1年後にハンディ22となり、小学6年では20。中学時代には、はるか年長のベテランと互角に戦えるまでとなった。

「ここは思い出がいっぱいつまっている。僕は、生涯で一度だけスコアをごまかしたことがあるんです。親父と一緒にラウンドし始めたころだったかな」

画像: 門司GC18番ホール(180ヤード・パー3)松ヶ江コースを代表する最後の難関

門司GC18番ホール(180ヤード・パー3)松ヶ江コースを代表する最後の難関

それは6番ホールの出来事だった。第2打をグリーンの右側の大きなマウンドに打ち込んだ彼は、その第3打のアプローチを空振り、4オン。2パットしたから6のはずだが、空振りが口惜しくて5と申告したのである。まだ10歳で、一打でも少ないほうが嬉しい年頃だ。出来心で発した「5」という申告に、親父の利三郎は怒り声をあげた。「そんなことをするなら、二度とゴルフなんかするな!」

しばらくの間、クラブを取り上げられてしまった。少なくとも、自分自身の中でフェアで本道のゴルフスピリットをもってゴルフにとり組もうと思ったのは、この時からだと言った。以来、二度とアンフェアな行為はもちろんない。いや、むしろより厳しくあろうという態度を貫いたのである。

文/三田村昌鳳

門司ゴルフクラブ
福岡県北九州市門司区大字吉志175
TEL093-481-0711
18ホール/6691ヤード/パー72
コースレート73.1/スロープレート136
コースタイプ/丘陵コース
グリーン/高麗の2グリーン
設計/上田治
開場/1934年
公式ホームページはこちら

画像: 中部は日本アマに1962、64、66、67、74、78年、6度の優勝

中部は日本アマに1962、64、66、67、74、78年、6度の優勝

画像: スタート風景が眺められる門司GCのテラス

スタート風景が眺められる門司GCのテラス

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画像: golfdigest-play.jp
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門司GCを造ったコース設計家・上田治研究

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