【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。
「これからは“富士平原の芹澤”でお願いします」
「色男、金と力は…」と昔からいわれている。ゴルフの世界でいうならば、ここ5年間、ツアー競技での勝利が一度もなかった芹澤信雄がそう呼ばれていた。
もっとも何試合かに出場できるほどの「力」は持っていたものの、ツアー競技で優勝を争う上位にくるほどではなかった。
今年の目標は「とりあえず獲得賞金をなんとか1000万円以上にして、あとは60位までになったシード権をとるだけだけですよ」と開幕前は語っていた。
ところがこの色男、その目標は7月半ばに達成してしまった。
賞金対象外の大会、富山県オープンに勝った時「これでほぼ当初の目標は果たしたし、あとはツアー競技での1勝だね」と聞いたことがあった。
「そうですね、でも勝ちをあせるとロクなことになりませんよ。勝ちは運。ここまでこれただけで十分ですね。ただ1000万円は確保できたから、目標は2000万円に変更ですね。それと順位をもう少しあげて、公式戦に出れるようになったらいいですね。でも、それは夢ですよ」
語ってから1カ月、もうその夢も手の届くところにきてしまった。
最終日、スタート前は兄弟がプロになって初めての尾崎3兄弟による優勝争いになると信じていた。
ギャラリーもジャンボと直道がいる最終組とそのひとつ前、倉本と健夫がいる組に集中していた。
色男の組には(岐阜関の麓に流れる)長良川名物の鵜飼の見物人ほども集まっていなかった。
「1番が3メートル、2番が6メートル、これがポンポン入ったので、今日は攻めるしかないと思ったッスよ。5番、8番でもどんどんいったのが良かったんでしょうね」
周りが気にならなかったせいか「自分のゴルフに専念できた」という。
結局、アウト4バーディ、1ボギーの32で終了。トータル5アンダーとした。
続くイン、11、12番で7アンダーとし、この時点でトーナメントリーダーとなった。
「どうせうしろの組があとからガンガンくるだろうと思って、やるだけやってみようと思いました」
ここまでなら、若手の勢い勝ちと言われても仕方ないものがあった。
しかし、14番、セカンドをベントとコーライの境目に落とし、「8番アイアンで打とうか…」と考えたあげく、パターで打った。それがチップイン、バーディで2位に2打差の余裕までできたのだ。
「プロはグリーン以外からはアイアンでカッコ良く攻める」とされた常識をカッコではナンバーワンだった芹澤が自ら放棄した。
この時点で勝利は確定したようなもの。18番のボギーは大会を盛り上げた尾崎兄弟へのサービスだった。
「そんなことないッスよ。上がってからクラブハウスでウロチョロして落ち着かなかったですからね」
18歳からゴルフを始めプロ6年目。高校時代はスキー選手で国体40位の成績を残したほどのスポーツ万能選手。
「これで同級生(御殿場西高校)の中日ドラゴンズの杉本の名前を出さなくても通じるゴルファーに
なれたと思うとうれしいですね。これからは“富士平原の芹澤”でお願いします」
ビートたけしに「名人」と呼ばれ、関係者には「色男」と呼ばれ続けた芹澤信雄。これでどちらも本物になったようだ。
賞金ランク13位。どこまで上がるか今後が楽しみだ。
トッププロは飛距離の出る「2種類以上」の球筋を持っている
今週のウォッチャーは岐阜関CC所属の安井司プロ。1951年生まれ(当時36歳)。高校卒業とともに岐阜関CCに入社。肩書はツアープロながら主な仕事はレッスンプロ。最高成績は中部オープン10位。今大会にあたり、井上清次総支配人と共に1月よりコース改造に着手した。編集部注/プロフィールはすべて1987年当時
私はコース所属プロとして、今大会の開催が決まってから、井上清次先生のコース改造チームに参加させてもらいました。
もともとこのコースは、イーブンパーのゴルフをしようと思ったら、私のような者にもできるおだやかなコースだったんですが、プロのツアー競技ですから、攻めまくる選手にはちょっと難しくしてやろうということになったんです。
改造は8ホール。その多くは新しくバンカーを作ったり、深くしたりしたもの。その次に多かったのは、ティグラウンドを後ろに下げたホール。
特に8番ホールは、ティグラウンドをうしろにさげ、なおかつ低くしたんです。このホールはパー5のロングなのですが、左ドッグレッグしているため、一流プロはみなショートカットして楽々とオンねらいできるんです。
改造後、私はラウンドし、左の林越をねらってみたんです。
飛ばそうと思ったら、初め低く飛び出して、後半高く舞いあがる強いドローボールが必要なんです。
ところが、私がいくらいいボールを打っても、左の林の木に一直線に当たってしまうんです。
こうなると、飛ぶプロもねらえないから、飛ばないプロも平等に勝負できる──そう思ったんです。
でも、いざ試合が始まってみると、こちらの予想はことごとくひっくりかえされました。
ジャンボ、飯合級はもちろん、それより1ランク下の飛距離の持ち主でも高く距離の出る球筋で、左の林を越えていくんですよ。
「やっぱり、トッププロだな~」と皆で驚いていました。
トッププロは同じ距離の出る球でも、2種類以上の球筋をもっているんです。いい勉強になりました。
10番の短いパー4、17番のパー3、「いくらかプレッシャーをかけてホール攻略をむずかしく…」と池を作ったんですが、上位陣ではジェット(尾崎健夫)が2番アイアンで入れただけで、他のメンバーにはあまり影響がなかったみたいです。
ピンの位置も1日~3日目までは、手前のむずかしいところにセッティングしました。グリーンは3年
前に張り換えてからえらく水はけが良く、スパイクマークがほとんどできないようになっているんです。だから、今回のような日ざしがきつく、気温が高い日が続くと、グリーンは速く、セカンドをラフから打つと、手前から攻めるより方法がないはずだったんです。
しかし、それもジャンボや力のあるプロは、さほど深くはないラフからだとピタンピタンと止めてくる。それも「やったぜ!」なんて叫ぶこともなく、実に涼しそうな顔をしてです。
3日目の夜、夕立があり、そしてこちらも30分くらい水をまきをしました。
上位陣の尾崎3兄弟そして倉本、パワーのある選手のビタビタと攻めまくるゴルフを楽しみにしてい
ました。
ジャンボは今大会からメタルウッドをパーシモンにして、コントロール重視しているせいか、フェアウェイキープ率がすごく良かった。最終日もそれは変わらず、アウトはほとんどいい位置からセカンドを打っていた。
1番1.6メートル、3番2メートル、4番2.5メートル、7番1.6メートルを9ホールのうち6ホールをバーディチャンスにつけていたんです。
ところが、こちらが期待したバーディラッシュはアウトでは1回も見られずじまいだった。
ジャンボはホールアウト後「昨日が横バイだったから、今日もカニの横バイでいいと思ったがダメだったよ」と言っていたが、落ち着きすぎて横綱相撲をやろうとしてもなかなか集中できなかったのではないでしょうか。
自分の形というものをあまりにも意識してしまうと、ジャンボといえども思うようにならないことがある。
それに比べて、自分の形にこだわらずまさに必死の攻めを展開したのが弟の直道。ジャンボよりショットは曲がっていたし、ラフに入ることも多かったのに、「絶対に寄せるんだ」という執念が見られた。
15番のミドル(パー4)などは3打を絶対に寄せることのできないラフへ入れて、そこから、ねらって入れたチップインパー。おそれいりました。
私も、井上先生のおかげで、とてもいい環境でゴルフをさせてもらっていますが、勝てなかったものの、それとはまた違うとてつもなくいい環境でこの尾崎兄弟はゴルフをしているんだな…とつくづく感心させられました。
大会が始まる前までの私は、体が小さいせいもあって、技術で見せる青木功に学ばされることが多かったんです。
尾崎兄弟はショーマンシップにのっとった「見せるゴルフ」優先と思っていた。
ところが、他の選手がスプーンで打つホールでもドライバーで打てるというのは、結果は見せてしまっているけれど、それを上回る技術があるということを教えられました。私のゴルフ人生に最も大きな影響があった1週間といったら、多少オーバーでしょうかね…。
1987年日経カップ最終成績
岐阜関CC/6926ヤード/パー71
1位 -7 芹澤信雄
2位 -6 尾崎将司
尾崎直道
塩田昌宏
5位 -5 水巻善典
6位 -4 中村輝夫
小林富士夫
8位 -3 湯原信光
9位 -2 金井清一
高橋勝成
倉本昌弘
岐阜関カントリー倶楽部
岐阜県関市山田芳洞1691-1
TEL 0575-22-2424
コースタイプ/丘陵コース
グリーン/西コース・ベントの2グリーン
東コース・ベントの1グリーン
会員権/株主会員制で譲渡可
東コース/7256ヤード/パー72
コースレート74.9/スロープレート139
西コース/6958ヤード/パー72
コースレート73.2/スロープレート134
設計/上田治
開場/1964年
公式ホームページはこちら
現在の岐阜関カントリー倶楽部
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