【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。
出身コースに似ていることは、メンバーとビジターの差ほどある
暑さこそ厳しいが、無風、快晴の天候はゴルフにとって絶好のコンディションだ。しかし、そこまではどの選手にとって同じ条件だ。青木にはもうひとつ有利な条件がある。開催コースの筑波CCは青木の出身ゴルフ場、我孫子GCに近いだけでなく、コースレイアウトもよく似ているのだ。
出身コースに似ているというのは、メンバーとビジターの差を持ち出すまでもなく、どれほど有利なことか、いうまでもない。
風に強い、低い球で攻める謝敏男、ティショットをぶっ飛ばす安田春雄に対して青木は寄せワンで攻める。
無風、快晴、しかも距離がないとなれば、この3人のうち一体誰が有利だろう。答えは明らかである。
ましてパットには絶対の自信を持つ青木のことだ。暑さで茹ダコのように顔面を紅潮させているが、プレーぶりは自信に満ちた落ち着きを示している。
ドライバーでは確かに何度も安田に遅れをとったが、残りの距離の長い青木のほうが、安田よりいつもピンに近い所に寄せる。だからギリギリのパーと違って、俗に言うバーディ逃しのパーだ。
これでは勝負にならない。
アウトの7番425ヤード、パー4で2メートルのパットを決め、この日最初のバーディを獲ると、9番500ヤード、パー5でもバーディ。こうなると一体何アンダーまで行くのだろう。ギャラリーの興味はそこに集中した。
インに入っても10番520ヤード、パー5でバーディ、13番175ヤード、パー3ではあわやホールインワンというピン30センチにつけるショットを放ってバーディ、14番570ヤード、パー5では3メートルのパットを決めてバーディ、18番390ヤード、パー4も3メートルのパットを沢山のギャラリーが見守る中で決め、有終の美を飾るバーディ。
しかもノーボギーだから、この日も6アンダーの66で上がってしまった。実に21アンダー。これは自己のもつ関東プロの最高記録15アンダーを大幅に更新するものだ。
青木が走り出したらもう追いつけない
派閥というと、ちょっと大袈裟だが、まあ、仲のよいグループというのがプロの中にも自然にできあがる。たとえば青木功と田中文雄は仲間うちである。陳清波の所属にC&Fとあるのは、Chin and Friendsの略で、その友達の中には、謝敏男をはじめとする台湾勢、それに矢部昭などの日本人プロがいる。
では安田春雄はどうか。小川清二、森健二が安田グループである。また一方、杉本英世を筆頭とする川奈勢がある。尾崎は一匹狼だが、他のプロたちは何らかの形で群れをなしている。
むろん優勝は個人の栄誉であるのだが、そういうグループの援護射撃も見逃せない。たとえば青木にしてみれば、田中がもう少し頑張って最終日に一緒の組で回りたかったところだ。ところがその田中が崩れたために安田が上がってきた。
実を言えば青木が一番恐れていたのは、この安田である。パットのシビレ病こそあるが、ショットに関しては日本第一の腕前である。口も達者だ。安田ペースに乗ると手がつけられなくなる。事実、出足のホールで早くもバーディ。ところが2番600ヤード、パー5のセカンドでOBを出した。右のラフからクリークで打ったのが、フックして白杭のはるか彼方へ消えた。
さあ、これからと意気あがったところでのOB。ガッツの安田は自ら勝利の道から遠ざかっていった。
初日64のレコードを出した謝敏男。彼に対して9番ホールのティグランドでギャラリーから声があった。「陳さんが右にOBを出しましたよ」。この一言が謝には不運だった。右を恐れ左に逃げすぎて林の中。このホール、なんとかパーにおさめたが、目指す敵の青木はバーディ。差をつめるところが逆にひらいてしまった。陳さんのOBだからこそ謝には気になった。
青木は逃げ馬である。彼の勝利はいくつもあるが、たいていが突っ走り勝ちである。尾崎のような派手な逆転勝ちというのはない。逃げ馬の青木にとって大切なのは最初の数ホールだ。ボギーが先に出るか、バーディが先に出るかで、様相がガラッと変わる。彼はまた気分屋のところがあり、ボギーが先に出るとフテってしまう。札幌オープンの記録的な逆転負けは、そのせいである。
この試合もその不安があったのだが、6番までジッと我慢のパー。7番で遂にバーディが出た。バーディが優先すると逃げ馬、青木は、がぜん逃げ足が早くなる。青木得意のダントツスタイルで走りまくる。
最終日、杉本が猛烈なバーディ攻撃でスタート時の8アンダーを15アンダーにまで伸ばしてきた。「これでトップとは2打差ぐらいと思っていたのに、何のことはない。16番のところでスコアボードを見ると青木が20アンダーじゃない。もうガックリよ」
青木が走り出したらもう誰も追いつけない。走り出した青木には、誰の助けもいらないし、何人束になってかかっても敵わない
ジャンボ尾崎はこの手のコースが苦手
筑波カントリークラブ、7065ヤード、パー72。いわゆる茨城県のゴルフ銀座の一角を占める。前足が4本、後足が6本、これを称して四六のガマという、そのガマの産地筑波山は、ここから約1時間の距離である。
このコースの隣り村の茨城ゴルフ(今年の関東オープン開催コース)に、ほんの少し前まで所属していた関水利晃プロは、試合前、「ほんとすぐ近くなんだけどね、だいぶ前に2、3度プレーしたことがあるだけなんだ。とにかくグリーンが小さいことだけ覚えているよ」と語っていた。
ここはむしろテクニシャン向きのコースである。関水プロのいうようにグリーンが小さい。いや、広さとしては平均的なのだが、とにかく奥行きがない。その奥行きのないグリーンをがっちりバンカーがガードして、おまけにボールが止まらない。
3日目まで上位グループに一般的にあまり知られない名前を発見したはずである。たとえば張ヶ谷清、海老原清、あるいは飯塚良男。原政雄、原孝男はすでに有名だが、それと同じく彼らは関東の名門、我孫子の所属か、その出身である。
このコースも、一言でいえば我孫子タイプなのである。
人はよく青木のパット技術と度胸、あるいはカンなどに対して絶賛し、確かに、ことグリーンに乗ったら青木は天才で、世界でも五指には入る名手なのだが、そこに至る道程にも、もっと眼を向けるべきだろう。
青木の攻め方を見ると、絶えずグリーンの花道からセカンドを狙える位置にティショットを落としている。グリーンを狙うに最もやさしい「花道戦法」をとっている。グリーンで楽をするためにはティショット苦労している。
では、青木のよきライバルである尾崎の場合はどうか。初日71、2日目72。この時点での順位が40位。首位とは11ストロークの大差で、もはや優勝はあきらめのムードだった。それでもさすがに尾崎で、3日目は67を出し、15位まで上がってきた。最終日もこの調子で上位陣になんとか…と思わせたのだが、スコアは意外に伸びず71、結局14位に終わる。
このコースは、ドッグレッグホールが多い。インに入るとほとんどが右か左に曲がっている。それがまた、我孫子勢が活躍する素地なのだが、どうも尾崎にはこういうややこしいホールは苦手のようだ。
【1974年関東プロ最終結果】
筑波CC/7065ヤード/パー72
1位 ‐21 青木功(日本電建)
2位 ‐15 杉本英世(富士ロイヤル)
3位 ‐12 陳清波(C&F)
3位 ‐12 安田春雄(マルマン)
5位 ‐11 田中文雄(フリー)
筑波カントリークラブ
茨城県つくばみらい市高岡830‐2
TEL 0297‐58‐1515
18ホール/7055ヤード/パー72
コースレート72.8/スロープレート133
コースタイプ/林間コース
グリーン/ベントの2グリーン
設計/佐藤昌、川田太三(改造)
練習場/250ヤード/アプローチ、バンカーあり
加盟連盟/JGA、KGA
会員権/正会員は株主制、平日は預託金制、いずれも譲渡可
開場/1959年
最寄りIC/常磐自動車道/谷田部ICから4キロ
最寄り駅/つくばエキスプレス・みらい平駅
公式ホームページはこちら
現在の筑波カントリークラブ
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