【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。
5打差の絶対有利か、恐怖の足音がゲールをシビレさせるのか
「全日空(札幌オープン)では3日目まで中嶋さんに1打差、これをひっくり返され負けてしまったが、今度は5打差、きのうまでのゴルフをしていれば勝てる自信がある」
3日目を終ってT・ゲールは早くも優勝宣言。
果たしてゲールは最終日に3日目までのプレーができるか、興味の中心はここにあった。
だが、ゲールのスタートは決して芳しいものではなかった。1番(480メートル、パー5)、3オンを果たしたが、7メートルの第1パットを1.5メートルショート、その短いパットを右に外して3パット。
「5打差なら…」と自信満々だった顔が一瞬くもる。
3番(179メートル)のパー3ホールでは青木の9メートルのスライスラインが見事に1発で決まり、差は一気に3打差に縮まった。ドッと沸くギャラリーの大歓声。
しかし、続く4番ホールではゲールが3メートルのバーディを決めて再び4打差。ゲールにとっては大きな1パットだった。だが、青木にとってはせっかく手の届くところにきた(日本オープンのタイトル)「宝もの」が逃げていってしまった感じ。青木は次のホール(5番、416メートル、パー4)の第2打をバフィで打ってバンカー右に押し出し、そのアプローチを10メートルオーバーさせ2パットのボギーでゲールと5打差。振り出しに戻った。
ゲールが「5打差なら自信がある」といったのはこの辺の読みがあったのだろうか。
青木は6番ホール(171メートル、パー3)で、5番のミスを取り返す。
ゲール9アンダー、青木5アンダーで迎えた9番ホール(390メートル、パー4)。ピンの下8メートルにつけたゲールのパットが最後のひと転がりでコトンとカップイン。ゲールは小踊りしながら両手を高く上げて観衆の拍手に応える。
ハーフを上がったところで再び5打差。その5打差の重みが青木にのしかかる。
陳清波プロは、かつてこんな話をしてくれたことがあった。
「最終日の一人旅ほどわからないものはありません」
一人旅とは2位以下を大きく引き離して最終日を迎えたプレーヤーのこと。
だが、危険な一人旅は東南アジアを股に暴れまくるゲール(82年ニュージーランドオープン、よみうりオープン、83年マレーシアオープン優勝)には通用しないのだろうか。
「2、3人で競り合っているときはゲームに集中できるんですが、ひとりだけ引き離していると、なんとなくうしろからヒタヒタと足音が聞こえる感じで気持ちが悪いんです」と陳清波プロは言う。そしてその不気味な足音に神経をすり減らして自滅するというパターンが多いというのだ。
5打差の絶対有利か、恐怖の足音がゲールをシビレさせるのか、答えはインの激戦の場に持ち込まれた。
8番アイアンでまさかのOB。恐怖の足音が忍び寄る
ついにハプニングは起こった。ゲールが10番で3パットのボギーを叩き、4打差になったあと、青木が13番で「6番アイアンがよく転がってくれた」2打が1.5メートルにつき、バーディをもぎとって3打差と急迫。そして14番ロングホール(495メートル)――このホールでゲールが思いがけないOBを左へ打ってしまった。終盤にきてのOB、ゲールは思い切りクラブを地面に叩きつける。
「安全を期して8番アイアンで脱出を計ったのにひっかけてしまった。4番や5番で狙ったのではないだけに残念」と唇を噛む。
4メートルにつけた6打目のパットを1発で沈めて最少の被害、ボギーでとどめたのはさすが。
このホール、青木も決して楽なパーではなかった。ティショットを右の深いラフ、結局、出すだけのショット、第3打も右バンカー手前の深いラフ、そこから4打目がピン奥3メートル、やさしいラインではなかったが、これを沈めて2打差に接近した。
ゲールにとっては遠くに聞こえていた「恐怖の足音」が俄然自分の耳元に聞こえてきた感じだったろう。
危険な一人旅を意識したゲールのフォームがどこかぎこちない。もちろん、本人は気が付かないのだが、ダウンスウィングでグーンと左へ送り出されるいつもの左ひざが止まってしまっている。
16番の第2打、ひざの止まったフォームで打った打球はひっかけ気味にバンカーの奥へ。間違っても打ってはいけない個所にいった。結局、このホールは2パットのボギー。冴えた青木の1発のパットで差はわずか1打差。絶体絶命のピンチに追い込まれていった。
そして17番(168メートル、パー3)。先に青木のショット(5番アイアン)がピンそば50センチにピタリと寄った。ゲールは奥7メートルの位置。青木はこのパットをなんなく決めてバーディ。ゲールは2パットのパー。
ゲールは後から追ってくる足音ではなく、ワインレッドのズボンに白シャツの「恐怖人間」青木の姿が横に並んで走っているのを自分の目で認めざるを得なくなっていた。
そして、18番ホール(420メートル)はお互いにしのぎを削るアプローチとパットの闘いを演じてパー。プレーオフに持ち込まれた。
並んだら追ったほうに勢いがある
プレーオフは17番ショートホールから。このホールは両者ともに1オン、2パットのパーで分け。
次の18番はパー4としてはロングホールだ。ゲールのティショットは中央、青木は右サイドといずれもフェアウェイをとらえた。
先に打ったゲールのロングアイアンは左ひざにグイとブレーキがかかり、右肩が突っ込むようなショット。あの16番のミスショットと同じ形だ。フェースがわずかに開いていたため打球は大きくスライスしてグリーン右のバンカーへ落下してしまった。
青木は4番ウッド。
「その前はフォローだったので5番アイアンを使ったが、プレーオフでは風がやんでいたのでバフィで高く上げて止めようと思った」
作戦はズバリ成功。ピン左4メートルにオン。ゲールのバンカーショットを待った。
「あのショットは完全な打ち損じだった」。プレー後、ゲールが語ったように、残された生きる道はこのバンカーショットをピンに寄せるしかない。気力を振りしぼって打ったバンカーショットはピンを3メートルオーバーして止まった。
しかし、そのパットは打ち切れず、ボールは無情にもカップの左手前に――。
青木は1メートル弱のパーパットを決めて大逆転。
雌伏16年、この日、青木はやっと日本一の座を占めることができた。
「神と人との合作」という言葉があるが、この言葉こそ奇跡を起こした今日の青木に冠せられるべきものだろう。
(週刊ゴルフダイジェスト1983年10月19日号)
【1983年日本オープン最終結果】
六甲国際GC中・東C/6469メートル/パー72
1位 ‐7 青木功(日本電建)
2位 ‐7 T・ゲール(豪州)
―― プレーオフ ――
3位 ‐2 中嶋常幸(美津濃)
4位 ‐1 倉本昌弘(土佐)
5位 0 陳志明(筑波産商)
5位 0 尾崎直道(日東興業)
7位 +4 安田春雄(カシオ)
7位 +4 G・マーシュ(豪州)
9位 +5 吉村金八(蒲生)
9位 +5 小林富士夫(真名)
六甲国際ゴルフ倶楽部
兵庫県神戸市北区山田町西下字押部道15
TEL078‐581‐2331
東コース/7416ヤード/パー72
コースレート76.0/スロープレート144
設計/加藤福一
改造/ニクラス・デザイン社
西コース/6860ヤード/パー71
コースレート72.2/スロープレート131
設計/ジャック・ニクラス
コースタイプ/丘陵コース
グリーン/ベントの1グリーン
練習場/280ヤード/アプローチ、バンカーあり
加盟連盟/JGA、KGU
会員権/預託金制で譲渡可
開場/1975年
最寄りIC/阪神高速・北神戸線、箕谷ICから6キロ
最寄り駅/阪急電鉄、JR・三宮駅/神戸電鉄・谷上駅
公式ホームページはこちら
現在の六甲国際ゴルフ倶楽部
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