【青梅ゴルフ倶楽部】満州人脈から始まり、その後崩壊。新倶楽部は「民主主義」を徹底。設計は「旧鷹之台」の清木一男
「青梅ゴルフ倶楽部」の前史は、まるで「三国志」である。つわものたちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する。その中心は戦争が終わって引き揚げて来た満州人脈。満州で歯医者だった殿岡栄は、満州時代の仲間で「アンゴラウサギ」の飼育組合をやっていた広瀬五郎を介して、青梅で、あるゴルフ場計画に出会う。「東青梅霞丘陵」の市有地を中心に36ホールを造る話しだった。青梅市も公文書で地主を説得するほど積極的だった。