明治34年、神戸六甲山上唐櫃村の一角に、英国人アーサー・ヘルケス・グルームが、4ホールのゴルフ場を造った。日本のゴルフ場史の発祥である。グルームは、ロンドン郊外生まれ、明治4年以来、神戸で静岡の茶を輸出、セイロン紅茶を輸入する貿易商だった。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

グルームは、明治28年六甲山上三国池畔に別荘地「一〇一番地」を開発。次第に人家がふえ、ある夏、英国人数名が集ったとき、「故郷を偲ぶためにゴルフ場を造ろう」となった。それが始まりである。

画像: 2番ホール/176㍎/パー3 自然の起伏が活かされた手造りのコースで距離は長くないがグリーンが小さく難易度は高い

2番ホール/176㍎/パー3 自然の起伏が活かされた手造りのコースで距離は長くないがグリーンが小さく難易度は高い

六甲ゴルフ場は、1、11番がクラブハウスに近い。客の多い日は、11番ティからもスタート、いきなりオールドスコティッシュとご対面だ。小山を越えて打つ、ブラインドのパー3である。英国では時々見かける景色だが、日本では珍しい。

最初の4ホール、1、2番はほとんど現在と同じだが、1番ホールは今よりやや短く、4番は現6番の場所にあった。明治36年9ホールとなる。現18番はこの時の9番である。翌37年18ホールとなる。
設計グルームとあるが、実態はマザーネイチャーである。16番も7番も、ぐるりと山腹を遠回りする。探せば地形なりに作られた〝英国憧憬〟がいくつもある。

画像: 英国風の趣がある平屋のクラブハウスは歴史を感じさせる

英国風の趣がある平屋のクラブハウスは歴史を感じさせる

当時”女まわり”という回り方があった

ちなみに昭和30年代まで六甲山上は降雪が多く、ゴルフ場の冬は人気のあるスキー場となったと、「100年の歩み」は、ゲレンデとなった18番ホールを紹介している。

六甲ゴルフ場は女性に優しかったようだ。大正から昭和初期には、「女まわり(奥様まわり)」という回り方があった。1番〜6番と回って、次はいきなりクラブハウス裏の11番、12番。そして(突出した13番はカット)14番へつなぎ、15番〜18番でホールアウト。計13ホールをプレーするのだ。

画像: 明治元年に22歳で来日した貿易商グルーム(写真左)、“球ひろい”と呼ばれたキャディは近在の少年達で、このなかからプロが生まれた(写真右)

明治元年に22歳で来日した貿易商グルーム(写真左)、“球ひろい”と呼ばれたキャディは近在の少年達で、このなかからプロが生まれた(写真右)

日曜日の朝は男性優先で、女性たちはこの奥様回りで日曜の午後を楽しんでいた。

神戸ゴルフ倶楽部
兵庫県灘区六甲山町一ヶ谷
☎078-891-0364
開場日:明治36年5月24日
コース:18H/4019Y/P61
設計:アーサー・H・グルーム
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取材・文/田野辺薫

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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画像: golfdigest-play.jp
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