ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
グルームは、明治28年六甲山上三国池畔に別荘地「一〇一番地」を開発。次第に人家がふえ、ある夏、英国人数名が集ったとき、「故郷を偲ぶためにゴルフ場を造ろう」となった。それが始まりである。
六甲ゴルフ場は、1、11番がクラブハウスに近い。客の多い日は、11番ティからもスタート、いきなりオールドスコティッシュとご対面だ。小山を越えて打つ、ブラインドのパー3である。英国では時々見かける景色だが、日本では珍しい。
最初の4ホール、1、2番はほとんど現在と同じだが、1番ホールは今よりやや短く、4番は現6番の場所にあった。明治36年9ホールとなる。現18番はこの時の9番である。翌37年18ホールとなる。
設計グルームとあるが、実態はマザーネイチャーである。16番も7番も、ぐるりと山腹を遠回りする。探せば地形なりに作られた〝英国憧憬〟がいくつもある。
当時”女まわり”という回り方があった
ちなみに昭和30年代まで六甲山上は降雪が多く、ゴルフ場の冬は人気のあるスキー場となったと、「100年の歩み」は、ゲレンデとなった18番ホールを紹介している。
六甲ゴルフ場は女性に優しかったようだ。大正から昭和初期には、「女まわり(奥様まわり)」という回り方があった。1番〜6番と回って、次はいきなりクラブハウス裏の11番、12番。そして(突出した13番はカット)14番へつなぎ、15番〜18番でホールアウト。計13ホールをプレーするのだ。
日曜日の朝は男性優先で、女性たちはこの奥様回りで日曜の午後を楽しんでいた。
神戸ゴルフ倶楽部
兵庫県灘区六甲山町一ヶ谷
☎078-891-0364
開場日:明治36年5月24日
コース:18H/4019Y/P61
設計:アーサー・H・グルーム
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
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