茨木カンツリー倶楽部の歴史は、広岡久右衛門(加島銀行)、加賀正太郎(証券業)の出会いから始まる。

大正11年。阪神間の日本人ゴルファーは50人、それも神戸財界中心、大阪には、ゴルフ場一つない。二人は、「よし、デッカイ庭園でも造ってみるか」と手を握る。計画は───、
①関西初の18ホールのコース
②建設地は大阪近郊
③土地は倶楽部の所有地とする
④建設資金は50万円
というもの。「借地はしない」。

画像: 1番ホール/355㍎/パー4 打ち下ろしているがフェアウェイには傾斜がありボールの落下地点によっては難しいショットになる。2打地点から見えないがグリーン右手前には池がある

1番ホール/355㍎/パー4 打ち下ろしているがフェアウェイには傾斜がありボールの落下地点によっては難しいショットになる。2打地点から見えないがグリーン右手前には池がある

関西では、舞子も鳴尾も、借地ゆえにすべて廃止になっていた。それが教訓だった。

大正12年2月、茨木郊外の11万坪、現在地が決まる。しかし予算不足。考えたのが土地組合案だ。出資者を募り集めた資金で土地を買収、残りの土地を出資者に配分する案だった。折からの地価高騰で成功する。

画像: 5番ホール/494㍎/パー5 ティからグリーンまで緩い打ち下ろし。グリーン右には池があり、左寄りから攻めたい

5番ホール/494㍎/パー5 ティからグリーンまで緩い打ち下ろし。グリーン右には池があり、左寄りから攻めたい

工事はすべて人力とし、水田の上に土をかぶせフェアウェイとした

大正12年12月13日社団法人茨木カンツリー倶楽部認可。大正13年1月4日コース着工。設計は、駒沢の臨時レッスンプロだった英国人ダビッド・フードを程ヶ谷CCの現場監督だった峯大刀造が助けた。工事はすべて人力。谷間の水田の上に土をかぶせてフェアウェイとした。

昭和5年12月、英国の巨匠C・H・アリソンが来訪、改造を勧告。彼が1ラウンドした日本のコースは、ここだけ。昭和36年9月井上誠一設計の西コースが開場、フラッグシップは移る。

茨木カンツリー倶楽部
開場日:大正14年5月10日
コース:18H/6751Y/P72(東)
    18H/7407Y/P72(西)
設計:ダビット・フード(東)、井上誠一(西)
西コースは平成23年に元設計回帰とワングリーン化思想をもとにリース・ジョーンズ氏がコース改造
大阪府茨木市大字中穂積25 ☎072-625-1661

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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