ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
昭和4年7月、ゴルフ界の先覚、西本願寺の大谷光明猊下が訪れ、フォアサムで3回、ツーサムで1回計36ホールを楽しみ「銭函は、セントアンドリュースに似ている、横切る小川はスウィルカンバーンだ」「努力して日本のオールドコースにしなさい」と励ましたという。
昔、オールドコースのスウィルカンバーンの岸辺には、町中の女房たちが洗濯物を乾かした。その上にボールが飛びこんで大揉め、そこから〝拾い上げてドロップ〟のルールが生まれたという。
銭函も、ニシン漁最盛期には漁が終わり、引き揚げられた船の藁屋根にボールが刺さってロストボールで大騒ぎだったという。リンクスらしい挿話である。
競馬場を経て、昭和28年9ホールの小樽カントリー倶楽部として復活
小樽ゴルフ倶楽部は、昭和10年銭函カンツリー倶楽部となり、昭和18年戦時下の政策で閉鎖、競馬場となる。戦後の再興は遅れて昭和28年、旧コース跡の銭函競馬場に、9ホールの小樽カントリー倶楽部として復活する。
それから20年、輪厚など新しいコースに刺激されて、安田幸吉設計の新コースができたのは昭和49年。
ポプラ並木を利用した18ホール・6812㍎・パー72は長大且つ平坦だが、シーサイド特有の風、雨があり、降った日のコースは形相一変。平成11年日本オープンでは優勝スコア10オーバー、298(尾崎直道)という厳しさだった。
小樽カントリー倶楽部
開場日:昭和3年4月5日
コース:9H/3133Y/P36(旧コース)
18H/7467Y/P72(新コース)
設計:久野岩治(旧コース)
安田幸吉(新コース)
北海道小樽市銭函3-73 ☎0134-62-5051
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)