「4月29日天長節/色内8時37分発銭函9時5分着/銭函海岸の芝地にてゴルフをなす(中略)/ウッドンクラブにてフルに打つ快さ」北海道で最初にゴルフをした人、佐藤棟造の昭和2年の日記である。三菱グループのビジネスマンで鳴尾GCのメンバー、長崎在住中には、長崎ゴルフ倶楽部を造っている。銭函は、海も風も原野もスコットランドに似ている。「ここに北海道最初のリンクスを造ろう」。まず三菱ビル3階にインドア練習場を造り、小樽財界中心の小樽ゴルフ倶楽部を創立。施設はインドア練習場と銭函にティとグリーンだけの3ホールだった。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

画像: 旧コースは銭函海岸に沿っているため、強い海風が吹くと様相は大きく変わる

旧コースは銭函海岸に沿っているため、強い海風が吹くと様相は大きく変わる

昭和4年7月、ゴルフ界の先覚、西本願寺の大谷光明猊下が訪れ、フォアサムで3回、ツーサムで1回計36ホールを楽しみ「銭函は、セントアンドリュースに似ている、横切る小川はスウィルカンバーンだ」「努力して日本のオールドコースにしなさい」と励ましたという。

昔、オールドコースのスウィルカンバーンの岸辺には、町中の女房たちが洗濯物を乾かした。その上にボールが飛びこんで大揉め、そこから〝拾い上げてドロップ〟のルールが生まれたという。

銭函も、ニシン漁最盛期には漁が終わり、引き揚げられた船の藁屋根にボールが刺さってロストボールで大騒ぎだったという。リンクスらしい挿話である。

画像: 復元された旧クラブハウスは新コースの茶店として使われている

復元された旧クラブハウスは新コースの茶店として使われている

競馬場を経て、昭和28年9ホールの小樽カントリー倶楽部として復活

小樽ゴルフ倶楽部は、昭和10年銭函カンツリー倶楽部となり、昭和18年戦時下の政策で閉鎖、競馬場となる。戦後の再興は遅れて昭和28年、旧コース跡の銭函競馬場に、9ホールの小樽カントリー倶楽部として復活する。

それから20年、輪厚など新しいコースに刺激されて、安田幸吉設計の新コースができたのは昭和49年。

ポプラ並木を利用した18ホール・6812㍎・パー72は長大且つ平坦だが、シーサイド特有の風、雨があり、降った日のコースは形相一変。平成11年日本オープンでは優勝スコア10オーバー、298(尾崎直道)という厳しさだった。

小樽カントリー倶楽部
開場日:昭和3年4月5日
コース:9H/3133Y/P36(旧コース)
    18H/7467Y/P72(新コース)
設計:久野岩治(旧コース)
   安田幸吉(新コース)
北海道小樽市銭函3-73 ☎0134-62-5051

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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