三田ゴルフクラブの歴史は、ひとりの人物のヒューマンドキュメントと重なって始まる。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

佐藤満。造酒屋の丁稚、山陽鉄道の駅夫、車掌、そして神戸ゴルフ倶楽部事務員となる。神戸〜下関間急行列車に乗務中、英国人プライズを知り合いになる。

プライズは、佐藤の人柄に惚れて、日本最初のゴルフクラブ、神戸ゴルフ倶楽部のサマース会長へ紹介する。

サマーズとプライズは、彼にゴルフ界入りを奨める。彼は勤務先の国鉄を辞し、サマース邸に入り、勤務の傍らゴルフの研究と英語に没頭、勤めること20年。大正8年、35歳で支配人となった。

画像: 9番ホール/481㍎/パー5短いパー5。1打目の狙いはフェアウェイ右側にある大木の左。2打目のミスでグリー ン手前160㍎地点の浅いが大きな窪地に入ってしまう

9番ホール/481㍎/パー5短いパー5。1打目の狙いはフェアウェイ右側にある大木の左。2打目のミスでグリー
ン手前160㍎地点の浅いが大きな窪地に入ってしまう

佐藤は、六甲でこれからのゴルフの普及を予感した。神戸から1時間、冬でもできるゴルフ場を造るという一念で用地を探し、現在の地に至る。

昭和5年4月6日、三田の前身有馬ゴルフ倶楽部が開場。9ホールを自前設計、自前施工。グリーンはサンドグリーンで、フェアウェイは邪魔な木を伐り、芝は少し貼った。すべては佐藤の独力だった。

翌年18ホール・5300㍎となる。200名の会員はほとんどがビギナー、佐藤がグリップから教えた。それでも人気が募り、隣接土地には18ホール増設の計画も出たが、時局がそれを許さなかった。

画像: 10番ホール/334㍎/パー4 ティから150㍎地点までフェアウェイは下り、グリーン手前から上りになる

10番ホール/334㍎/パー4 ティから150㍎地点までフェアウェイは下り、グリーン手前から上りになる

大衆の名門を目指して作った

昭和16年、戦時下のゴルフ自粛で、有馬打球練成倶楽部と改称したが、昭和19年5月に閉鎖。戦後の再建は遅れる。

戦時中に酪農場となっていた旧コース跡を借地、ようやく昭和28年8月三田ゴルフクラブ、18ホール・4549㍎・パー66として甦った。

佐藤満は古希に近い歳だったが、自ら陣頭に立った。

4年後の昭和32年6310㍎・パー72に改造、現在6496㍎。三田ゴルフクラブは関西で5番目に古いが、格式で威を張ることがない。

神戸ゴルフ倶楽部で育った佐藤満が、六甲山上と違う〝袴を着用しないゴルフライフ〟をめざしてつくった大衆の名門である。

三田ゴルフクラブ
開場日:昭和5年4月6日
コース:18H/6496Y/P72
設計:クラブ設計委員会
兵庫県三田市三輪1294-1 ☎079-562-4081
公式ホームページはこちら

取材・文/田野辺薫

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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画像: golfdigest-play.jp
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