ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
堀内は、住まいが近かった小田急参宮橋の隣人、品川主計(讀賣新聞社社長)に相談する。「何か始めないと社員の給料も払えない」と話した。品川は、多摩川河畔に六郷ゴルフ倶楽部を完成したばかりの安達貞市を紹介する。
それより5年前、安達は大阪の茨木CCを見学、「富裕階級が嬉々として楽しむゴルフは、大衆階級にも楽しいはず」と考えていた。〝ゴルフは金持ちスポーツだ〟と切って捨てなかったのが安達の先見だった。
六郷ゴルフは大衆化、パブリックをとらえた野心作第1号だった。
しかし、電車広告までやって宣伝したものの大衆の反応はゼロ、40年早かった。止むを得ず東京ゴルフ倶楽部(駒沢コース)理事長・森村市左衛門に頼み、名物支配人・岡本秀雄を譲り受けて、会員制としてスタート、それが戦前の六郷GCで、近衛文麿もメンバーになった。
別荘地と倶楽部をセットで販売
そういった背景があっただけに、富士ゴルフコースの創設に際して、安達が提案したのは、「借地している県有地を300坪単位に区分、別荘を分譲する」というもの。
入会する人は別荘分の借地権を譲り受けることになり、会社はこの入会金を建設資金とするという案だった。
分譲地第1号は、安達自身が購入、白樺を門柱代わりにした日本草庵を造った。
山梨県南都留郡中野村山中の富士山と山中湖を見晴るかす大パノラマの27万坪に着工。労力はすべて地元民に頼った。設計・明石和衛は荏原製作所の創業者で東京GCのメンバー。
昭和8年の記録ではハンディ8、当時の8には大谷光明、鳩山一郎がいる。明石も名高いシングルだったのだ。富士ゴルフコースは、現在パブリックだが、戦前の発足時には会員制に依らざるを得なかったとわかる。
昭和10年8月1日、18ホール・6811㍎・パー72が開場。富士山系ゴルフ場の第1号である。
【富士ゴルフコース】
開場日●昭和10 年8月1日
コース●18H/6792Y/P72
設計●明石和衛
山梨県南都留郡山中湖村山中262-1
☎0555-62-2500
公式ホームページはこちら
取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
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