ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
中心に「浦霞」醸造元佐浦菊次郎がいた。昭和8年、グループは、塩釜上の原の松島を見下ろす海岸に本格的な18ホールを計画、設計を赤星四郎に依頼する。
赤松を伐ればすぐにもコースになりそうな地形で、赤星は「ヒリーでなくフラットでなく、感じは廣野のカミングインの水のないところ」と評している。
まったくの手造りで工事は意外に手間取り、昭和10年10月1日6ホールで、前身の仙台カントリー倶楽部が開場。東北初、芝のグリーンをもつゴルフ場だった。
芋畑を免れ、米軍が復活を後押し
大いに賑わったが、昭和19年10月、軍事養成所食糧増産所の名目で国が買収、解散。しかし芋畑になる前に終戦。コースは荒れずに済んだ。復活は米軍がもたらした。
昭和21年多賀城駐屯米軍のレクリエーション施設に接収され、コース復旧に佐浦菊次郎が協力を求められた。米軍は、残り3ホールを造成、カマボコ兵舎のクラブハウスを造った。
昭和27年、講和条約成立とともに接収解除。同時に佐浦は仙塩ゴルフを設立、コースをウラカスミコースとした。その後も米軍の来場は続き、クラブチャンピオンは第1回から5回まで米軍将校で占められている。
【仙塩ゴルフ倶楽部浦霞コース】
開場日/昭和10年10月1日
コース/9H/2889Y/P36
設計/赤星四郎
宮城県塩釜市庚塚1
☎022-364-3321
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)