昭和23年頃、まだ敗戦の痛手も癒しきれぬ時。兵庫県芦屋市は早くも国際都市構想の一環として「西の軽井沢」計画を進めていた。発起人のひとり、渡辺忠雄(元三和銀行頭取)は「私の山手町の家のすぐ後ろの天神山にゴルフ場を造る話が持ち上がった」と事もなげに語った。

発起人の渡辺忠雄に誘われて、廣野GCの高畑誠一、松岡潤吉、鳴尾GCのクレーン兄弟も参加するが、その土地は岩石が多く、用地面積も7〜9ホール程度と狭く断念した。第2候補のお多福山麓花原(現在地)が見つかるのは偶然からだった。

コースに最高の土地、「お多福山麓花原」が見つかった2つの説

ひとつは芦有道路の調査チームが道に迷ってお多福山頂から麓の雄大なスロープを発見したという説。もうひとつは芦屋郊外で病気療養中だった有力政治家・増田甲子七が「ここにゴルフ場を造ったらすばらしいコースになる」と示唆したという説。両説とも50年史に併記されている。

25年6月までに用地25万坪を確保。川奈ホテルゴルフコースの経験を持つ大成建設と契約。10月着工。設計は同社の保田与天。

画像: 1番/335㍎/パー4 右サイドの木を避けてフェアウェイ左寄り狙い

1番/335㍎/パー4 右サイドの木を避けてフェアウェイ左寄り狙い

画像: 18番/335㍎/パー4 高低差は約34㍍。フェアウェイは左に傾斜し、複雑な起伏がある

18番/335㍎/パー4 高低差は約34㍍。フェアウェイは左に傾斜し、複雑な起伏がある

鳴尾GC出身のプロ・福井八十八が保田与天を助けた。設計者二人は、山の中に、電灯も暖房もない山小屋をつくり「柴福庵」と称して痩せ我慢しながら造成に努めた。

昭和26年7月、社団法人認可。11月クラブハウスが先に落成。翌年27年8月17日待望の9ホールが開場。18ホールが揃うのは11月である。

アウト3380㍎・パー37、イン3380㍎・パー37、計6760㍎・パー74。「魅力溢れる山岳コースを造れた」と50年史は、先人を讃えているが、発起人の渡辺忠雄は「一番ホールから胸突き八丁の急斜面の打ち上げだった」と話した、正直である。

昭和35 年、アマチュアの名手・佐藤儀一が、開場以来のホールルートを逆回りにするという大胆発想による改造を行った。9ホールあった打ち上げホールは9ホールの打ち下ろしホールに変身、現在のコース展開の原型が生まれた。

芦屋カンツリー倶楽部
兵庫県芦屋市奥山1-25
☎0797-31-0501
開場:昭和27年8月17日
コース:18H/6241Y/P72
設計:保田与天、佐藤儀一
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美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

取材・文/田野辺薫

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