ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
計画の推進役は、後に‟ゴルフ知事”の異名をとる桑原幹根知事だった。結局「ふたつは無理」と、昭和29年10月愛知CC東山コースだけが開場した。
しかし、ゴルフ知事は、旭カンツリー倶楽部構想を捨ててはいなかった。「これからゴルフは大衆化する、日本のゴルフがアメリカに後れているのは、ムニシパル(公営)のパブリックコースがないことだ」と語った。
「名古屋に、ニューヨークのベスページ・ステートパーク・ゴルフコースのようなムニシパルコースを造ろう」と森林公園ゴルフ協会を設立、経営母体とした。
全米オープンが開催地の「ベスページ」と似た環境だった
ニューヨーク郊外ベスページ州立公園内に展開するベスページには5つのコースがある。なかでもブラックコースは、2002年には、公営パブリックとしては初めて全米オープンが開催された。
森林公園ゴルフ場も、ベスページと似た環境にあった。150万坪の森林公園の中の植物園、野外演舞場、テニスコートなどの施設の要として、ゴルフ場用地45万坪の中に東コース6780㍎、西コース6920㍎、いずれもパー72が造られた。
設計者上田治は「全長、起伏に申し分なく、地形より生まれるスリル、加うるに適所をガードするハザードの所在によって、真に技をみがくに遺憾なきコース」「パブリックチャンピオンシップコース」と語っている。
地元アマチュア普及にも貢献、昭和39年日本アマ決勝を中部銀次郎と争った纐纈資郎は、ここ一筋で中京のアマの覇王となった。(森林公園は、平成25 年4月PFI 事業によりウッドフレンズ森林公園ゴルフ場に名称変更)
ウッドフレンズ森林公園ゴルフ場
愛知県尾張旭市大字新居5182-1 ☎0561-53-3993
開場日:昭和30年12月1日
コース:18H/6719Y/P72(東)、18H/6892Y/P72 (西)
設計:上田治
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
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