ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
昭和33年7月21日開場。四国では高松CC(昭和29年)に次ぐ2番目の歴史をもつ。もっとも、戦前の高知には、「種崎」という海沿いの場所に9ホールがあったらしいが、戦時中芋畑になり最後は塩田代わりに使われて閉鎖。
「種崎でプレーした人はもういない」と、「正蓮寺」開場40周年記念号で語られている。
ところで冒頭にあげた「正蓮寺は短いき、しよい」という高知方言を解説する義務がある。翻訳すれば「高知GCは短いからプレーしやすい」である。なるほど、18ホール・6217㍎・パー72、コースレート68・5は短い。フロントティどころか、長いコースならレディス並みである。
土佐ッポの豪快だけど優しい心意気
平成6年の大改造を経ても6252㍎と僅かに延長しただけ。ヤーデージの数字だけなら確かに「短いき」「しよい」と思われる。しかし、一度正蓮寺をラウンドした人なら、一沫の揶揄と負け惜しみと悔恨のニュアンスを嗅ぎとる筈である。
設計者の丸毛信勝は、芝学の権威・農学博士である。昭和20年代以前、海岸の砂の上や山コースの岩地でも芝は十分生える、と教えてくれた博士だ。いきおい丸毛設計のコースは、用地条件の悪いコースが多い。
高知GCでは、「打ち上げのホールで飛ばしたボールが着地後、転がり戻ってティの後ろで止まった」という逸話がある。土佐ッポは、「ゴルフとはこんなものかと思った」そうだから豪快である。フェアウェイが狭くロストボールが確かに多い。
そこで、ボールに名前を入れておくと翌朝ロッカーにどっさりとボールが戻っていたとか、心温まる
エピソードが多く残る。地元財界と市民が育てた市井の名門である。
高知ゴルフ倶楽部 正蓮寺コース
高知県高知市重倉945 ☎088‐845-1163
開場日:昭和33年7月21日
コース:18H/6252Y/P72
設計:丸毛信勝
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美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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