ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
100 万坪の広さは、風格あるメンバーシップと大衆が楽しむパブリック制の36ホール構想を温めていた読売オーナー正力松太郎の心に訴えた。設計を依頼された上田治も、広さに魅入られたひとりだ。
「土地が狭いと不本意ながら緑の山や丘を削って裸にせねばなりませんが、その点、読売ゴルフ場は広漠130万坪のスペースがあった」とうれし気に綴っている。それでも起伏万丈300万立法㍍の土量を動かし、谷と丘をつなぐいくつもの橋と堰堤が必要だった。
現場に立ち即決で巨費を惜しまぬ務台光雄(後の読売新聞社社長)の陣頭指揮があったから、よみうりCC は実現したと、上田は続けて書く。
務台自身は後に「美しい緑のコースの地下には大小の排水溝を走らせ、斜面には崩れ止めの杭を無数に打ち込む」「ゴルフ場は、意外な費用を要する」と肝を冷やし、パブリックの西コースは、一時中断を考えたともらしている。100 万坪の財産区に散在する20万坪の民有地の買収から始まった。
昭和34年6月10日読売ゴルフ㈱設立。当初資本金1億円。会長・正力松太郎、社長・務台光雄。10月メンバー制東コース着工。昭和35年6月24日よみうりCC 結成、理事長・渡辺忠雄(三和銀行会長)、11月パブリック制西コース着工、設計・上田治。
12月1日東コース仮開場。昭和36年10月20日、メンバーシップの東コース(現よみうりカントリークラブ)の本開場。18ホール・7203 ㍎・パー72。
「地形を生かし、自然美をそのままに、格調あるコースが造れた」とは、上田の感想である。
その後、パブリックの西コースは改造をへて「ウエストコース」と名を変え、東コースは「よみうりカントリークラブ」となり、2008年コース改造。2009年には「ミズノオープンよみうりクラシック」を開催、当時10代だった石川遼が優勝した。
16番ホールで見るコース改造
よみうりカントリークラブ
兵庫県西宮市塩瀬町名塩北山 ☎0797-61-0112
開場日:昭和36 年10月20日
コース:18H/7236Y/P72
設計:上田治
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美しい日本のゴルフコースより
取材・文/田野辺薫
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