昭和45年7月、倶楽部が開場10周年を祝っていたとき、千里丘陵では、華々しく大阪万国博が開かれていた。千里丘陵と茨木国際ゴルフ倶楽部は手の届く距離にある。

大阪中心街から五月山まで30分

大阪万博へのアクセスのため名神高速道には「茨木IC」が開かれた。その結果、茨木国際GCは大阪中心街からコースまで30分、新幹線新大阪駅から20分、伊丹空港からも20分。この倶楽部は繁栄を約束された好条件下にあった。

昭和33年秋、創業者・加藤文三郎が計画したのは、高槻の丘陵だったが、用地買収に難儀しているとき、旧豊川村(現在地)からの誘いがあった。コース用地となった五月山は、松茸が採れることから「松茸山」とも呼ばれ、大阪側へ開けた南斜面で、年中積雪知らずの暖かさも魅力だった。

画像: 西7番ホール/135㍎/パー3 距離の短いが池越え。グリーン右サイドは2段のアンジュレーション

西7番ホール/135㍎/パー3 距離の短いが池越え。グリーン右サイドは2段のアンジュレーション

開発スタッフも一流だった。設計は日本アマ4連勝、廣野GCクラブ選手権12連勝の佐藤儀一、造成監督には芦屋CC名誉会員・柴田喜代志が、同クラブグリーンキーパーの芝諄二も伴って参加した。芝は、ここで経験を積んだ後、朱鷺の台CCなど6コースを設計している。

佐藤儀一流、小さく難しいグリーンの東・西

もう一人の英才、創業者・加藤文三郎の子、福一もここで育てられ、六甲国際GC、有馬ロイヤルGCなど16コースの造成でも活躍した。コース用地は、小谷ヶ谷、菖蒲谷、蓮谷などの谷地をもつ細長い丘陵地。

佐藤は、谷地と丘と池を組み合わせたコースを造ろうとしたが、農地法や砂防法令が妨げとなった。昭和35年9月14日に開場した(東・西)18ホール・6820㍎・パー72のコースは狭く、佐藤流の小さく難しいグリーンだけが目立った。

画像: 東9番ホール/495㍎/パー5 距離の出る人は左サイドから狙うと2オン可能

東9番ホール/495㍎/パー5 距離の出る人は左サイドから狙うと2オン可能

北コースは昭和37年着工、設計は上田治

昭和37年12月22日着工の北コースには“雄大なコースを”という期待があった。設計は、地元在住の上田治。上田は昭和30年代に井上誠一と設計界の双壁と見られていた。コース側も、9ホールに100万立方㍍の土工事を投入するなど費用を惜しまなかった。

画像: 北7番ホール/404㍎/パー4 約50ヤードの打ち下ろし、大阪平野が一望できる風光明媚なホール

北7番ホール/404㍎/パー4 約50ヤードの打ち下ろし、大阪平野が一望できる風光明媚なホール

画像: 北4番ホール/564㍎/パー5 左ドッグレッグで長く、グリーン周りもタフ、HC1のホール

北4番ホール/564㍎/パー5 左ドッグレッグで長く、グリーン周りもタフ、HC1のホール

その結果、昭和38年12月2日開場の北コース9ホールは、3508㍎・パー36の長大で趣きあるコースとして誕生した。

茨木国際ゴルフ倶楽部
大阪府茨木市大字宿久庄98 ☎072-643-5931
開場日:昭和35 年9月14日
コース:9H/3308Y/P36(東)
   9H/3355Y/P36(西)
    9H/3518Y/P36(北)
監修:佐藤儀一(東・西)、上田 治(北)
公式ホームページ

西コースと北コースで開催「Tポイント×ENEOSゴルフトーナメント」(2019年3月22~24日)

画像: 優勝は上田桃子

優勝は上田桃子

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

取材・文/田野辺薫

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