昭和47年の会報に掲載されたゴルフ場建設委員会・石橋直次委員長(初代キャプテン・四国力常務)の文章には、「ある高名なコース設計家が、このコース候補地を視察するなり『とても、ものにならぬ所だ』と諦めて帰った」と記してあった。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

志度町の強力なバックアップ体制

志度町小田地区馬ヶ鼻は、海底火山が噴出した台地上に、馬ヶ鼻灯台のある小さな岬である。表土はきわめて薄く、その下は漆喰で固めたような岩質地帯で、戦後入植した開拓民も、とても耕せる土地ではない、と逃げ出したといういわく付きの未開地だった。

建設発起人たちが、それでもこだわったのは、数十万坪のなかに、農地と民家が無かったこと、小豆島、豊島を正面に見る広大な瀬戸内海の景観、そして何よりも四国電力と志度町の強力なバックアップがあったからだ。

画像: 5番ホール/368㍎/パー4(中) 馬ヶ鼻灯台を見ながら瀬戸内海、小豆島めがけて豪快に打ち下ろしていくホール。左は崖でOB、グリーンは左右の2段グリーン

5番ホール/368㍎/パー4(中) 馬ヶ鼻灯台を見ながら瀬戸内海、小豆島めがけて豪快に打ち下ろしていくホール。左は崖でOB、グリーンは左右の2段グリーン

折から志度町では、四国電力と提携して、工場誘致に動いていた。ゴルフ場誘致は工場の誘致にもプラスに働く。志度町、工場誘致委員会、ゴルフ場建設委員会の間で、ゴルフ場は工場誘致条例適用の事業として進められることで協定。

多くのプロ競技の舞台となる

昭和37年12月1日、母体会社、阿讃観光開発㈱を設立(昭和55年志度観光開発に名称変更)する。設計は「山岳コースを得意とする」佐藤儀一に依頼、「何としても立派なコースを造ってみよう」との約束を貰う。

画像: 9番ホール/560㍎/パー5(中)

9番ホール/560㍎/パー5(中)

開発の目的は①志度町の発展に寄与②会員の負担は軽く③年配者、婦人にも楽しく、だった。昭和37年12月1日着工。

画像: 2番ホール/340㍎/パー4(東)

2番ホール/340㍎/パー4(東)

画像: 7番ホール/340㍎/パー4(中)

7番ホール/340㍎/パー4(中)

画像: 9番ホール/340㍎/パー4(西)

9番ホール/340㍎/パー4(西)

途中、大雨続きで傾斜地の盛土が海中に流れ込み、地元漁協から3500万円の漁業補償問題が起きるという波乱もあったが、昭和38 年10月に東コース9ホールを仮オープン。

翌年5月現東・西コース18ホールを本開場した。その後、「日豪プロ対抗」など多くのトーナメントの舞台にもなった。

昭和41年5月、さらに9ホールがオープンし、現在の27ホールが生まれた。

志度カントリークラブ
香川県さぬき市小田231 ☎087・896・0111
開場日:昭和39年5月3日
コース:9H/3133Y/P36(東)
9H/3194Y/P36(中)
9H/3211Y/P36(西)
設計:佐藤儀一
公式ホームページ

取材・文/田野辺薫

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