ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
ゴルフ界初、異例のことだ。4氏は栃木県出身。戦後最初の民選知事となった小平には「世界に名を知られた日光に観光施設としてのゴルフ場を」という政策目標があった。
栃木県には、昭和11年開場の「那須GC」があるが、地元では、東京人が造ったものだと思っていた。栃木県人の手で造った栃木のゴルフ場をという目的で、27年7月19日、小平知事は金谷ホテルで財界の重鎮 加藤武男と会談、県が第一次資金と用地を確保、建設工事も県営で行うと確約する。
28年7月の発起人会には県知事、副知事、日光町、今市町に並んで金谷ホテル、鬼怒川館も参加、株主には東照宮、輪王寺、二荒山神社の名も並ぶ。日光を中心に郷党挙げてのゴルフ場であった。
山ではなく旧河床の地を選択した井上誠一
コース設計の井上誠一は、中禅寺湖畔、霧降高原などを調査するが、選んだのは日光の山ではなく大谷川の旧河床だった。明治年間2度の大洪水で生まれた転石累々の荒蕪地。
表土が薄く、5寸も掘れば隠れ石でバンカーも掘れないという土地を選んだのは、男体山に向かって広く開けた標高差5㍍の旧河床の姿に、杉や樅、柳の独立樹に日光特有の林間調を感じたからだ。浅い地下の隠れ石に阻まれて、松の根は横に、枝も横に伸びる。
井上は言う。「バンカーは少なくとも松の枝がきっと日光ならではのハザードになるから」と。バン
カーは33ヵ所に止めた。
域内の松、樅、小米柳はすべて自生木だ。日光のコースは冬に凍る。春、凍ったフェアウェイが溶ける。溶け方は、土質、日照量、地下水の流水量によって微妙に変化する。
それが40年続くとフェアウェイも平坦に見えて微妙にうねりが異なる。井上は、自然力を予想したのである。
日光カンツリー倶楽部
栃木県日光市所野2833
☎0288-54-2128
開場日:昭和30年4月
コース:18H/7061Y/P72
設計:井上誠一
公式ホームページ
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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