赤羽ゴルフ場がある場所の住所は、今では東京都北区浮間だが、大正期までは埼玉県北足立郡横曽根村字浮間だった。大正15年荒川放水路の完成で東京都に編入された土地だ。そのときはまだただの河川敷の草地、真菰や葦の群生する湿地帯で、水鳥や兎などの猟場でもあった。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

初めは牧場の予定だった

戦後荒川河川敷の姿は、一変する。深刻な食糧難が、またたく間に野生の湿地を一面の菜園に変えてしまった。困った公害が発生した。

物資もないカネもない、菜園の肥料はすべて人糞だった。冬、北風が吹くと異臭が風に乗って、赤羽の町屋を悩ませた。肥桶を担いだ農作業は、東京の北門の風景としてどうなのか「もっと綺麗な景色にしよう。ゴルフ場はどうだ」と考えたのが、産婦人科医で北区の観光協会会長・石川治だった。

始めは牧場を考えた。診察に訪れる妊婦の子供が栄養不足で弱々しい。乳牛を飼って、たっぷりの牛乳を飲ませようと考えたそうだ。この案は、牛の蹄でできる穴が河川敷を荒らすと反対され、それではと考えたのがゴルフ場だった。

河川敷らしからぬ長いヤーデージ

ゴルフ場事業は土地確保から始まる。予定地には浮間赤羽の10組合、800人の耕作者がいた。野っ原で耕作人たちが集まって賛否で大騒ぎしているのを、警察が百姓一揆か、と色めきたったという小事件もあったが、3.3平方㍍当たり40円で耕作権の買収に成功。

昭和32年5月、占有許可申請を提出、11月に㈱赤羽カントリー倶楽部を設立。発起人のひとり、浜野清吾代議士の紹介で、元運輸次官で川崎国際CCを完成させた平山孝を設計者と決定。

平山の描いたコースルーティングに、同クラブのグリーンキーパーだった富澤誠造が詳細設計を分担した。

昭和32年11月、18ホール・6905㍎・パー72のコースが本開場。河川敷らしからぬ長いヤーデージ。特に8番は600㍎・パー5、この名物ホールの挑戦を目的に来場するプレーヤーが増えていった。

画像: 荒川の河川敷にコースは展開する。河川敷は都会のオアシス的存在だ。画面左側は埼玉県の川口市浮間ゴルフ場

荒川の河川敷にコースは展開する。河川敷は都会のオアシス的存在だ。画面左側は埼玉県の川口市浮間ゴルフ場

画像: 3番ホール/160㍎/パー3 河川敷コースの距離感を正確に把握するのは難しい

3番ホール/160㍎/パー3 河川敷コースの距離感を正確に把握するのは難しい

画像: 11番ホール/151㍎/パー3 距離はないが、手前のガードバンカーが強烈

11番ホール/151㍎/パー3 距離はないが、手前のガードバンカーが強烈

その後、戸田橋下、荒川橋下に運動場を割譲して、現在は6200㍎・パー72となった。

赤羽ゴルフ倶楽部
東京都北区浮間2-8-7 ☎03-3966-6155
開場日:昭和32年11月3日
コース:18H/6199Y/P72
設計:平山孝、富澤誠造
公式ホームページ

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

取材・文/田野辺薫

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