枚方は京都と奈良の中間、都市化のスプロールに呑まれて、今やゴルフコースのすぐ傍らにビルが建つ発展ぶりだが、昭和34年9月のオープン当時は、1番ティから遥か淀川辺りまで見渡せ「全体に飛行場のようだった」という記憶が残る

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

砂利混じりの地層。痩せた土地に井上が見たもの

画像: 18番ホール(454ヤード・パー4)やや打ち下ろしのパー4だが、距離は長い。平成元年にグリーン手前に池が作られ景観美は高まったが、2打目にはより正確性が必要に

18番ホール(454ヤード・パー4)やや打ち下ろしのパー4だが、距離は長い。平成元年にグリーン手前に池が作られ景観美は高まったが、2打目にはより正確性が必要に

だが枚方は歴史的には辺隅ではない。天平の昔から知られた土地で、聖徳太子建立の山田池、帰化人百済王・敬福の百済寺など史蹟も多い。

設計者・井上誠一のもとに。初代理事長となる尾上実夫から「枚方にゴルフ場計画がある」と話が入ったのは、昭和33年秋だった。現地に行くと、そこは以前踏査した土地で。砂利混じりの地層と急峻な地形で、断念したいきさつがあった。しかし、京阪に近く利用価値は大きい。

画像: 5番ホール(155㍎・パー3)池越えの美しいパー3で日本庭園の趣きがある。

5番ホール(155㍎・パー3)池越えの美しいパー3で日本庭園の趣きがある。

画像: 春には樹齢50年以上の桜が満開になる

春には樹齢50年以上の桜が満開になる

「現地形は雄大、大尾根の移り変わりも非常にスケールが大きい」、「非常にダイナミックなコースであって、しかも各ホールがそれぞれ独自のキャラクターを持っているコースができると思った」と井上は書いている。

「アベレージ級の人には平坦で広いフェアウェイ、上級者にはストラテジックなボールライとなる変化を提供しよう」と設計テーマは決まる。

昭和33年10月29日起工式、34年春には芝張り、秋には慣性と理想的なペースで工事は進み9月23日、本オープンを挙行。

「私の知る関西で一番痩せた土質」の土地は、「こせこせしない雄大なコース」に変身。18ホールどのティから見ても、100%白いOB杭は見えなかった。

画像: コースから枚方の街並みを臨む

コースから枚方の街並みを臨む

井上の心残りは用地事情で1、2、3番が他の15ホールから孤島化してしまったことだった。しかし50年経った今は、午後2時から4~9番を回ったり、朝駆け、夕討ちに1~3番をプレーしたり、会員たちは自在に楽しんでいるようである。

ちなみに世界一と言われる名コース、パンバレー(米国)も、枚方CCに似て、1~4番で一度クラブハウスに戻るルーティングになっている。

枚方カントリー倶楽部
大阪府枚方市杉北町1-4622
TEL.072-858-8331
開場日:昭和34年9月23日
コース:18H・6929Y・P72
設計:井上誠一
公式ホームページはこちら

ゴルフ場ことはじめ「いいコースはこうして生まれた」↓

画像1: golfdigest-play.jp
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